<当時を振り返って> |
私が松形知事から宮崎県木材利用技術センター所長の辞令をいただいたのは平成15年4月でした。センターが平成13年の開設後2年が経過し、おおよそ仕組みが軌道に乗ってきていた時期であったと思います。それは開設への準備期間を含めると3年余のご苦労を改めて感じさせるものでした。私の在籍8年間は松形、安藤、東国原、河野知事と宮崎県政も大きく変動した時期でした。とくに地元に密着した試験研究機関の機能性を発揮させるための仕組みを県行政にどのように位置つけるかきわめて重要でした。 |
<所長在任中の実績> |
平成20年にセンターが事務局となって開催した第10回木質構造国際会議 (World Conference on Timber Engineering、WCTE2008 in MIYAZAKI)は38の国と地域から500人を超える世界を代表する木質構造の研究者、技術者の参加があり、広範な情報交換がなされました。とくに2年に一度開かれるこの会議ではMIYAZAKIと宮崎の木材資源とわが国の技術レベルが世界の研究者、技術者に知れる結果となりました。それを平成22年のイタリアの大会で実感できたことは大変うれしいことでした。
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WCTE2008(平成20年6月2日〜4日)
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<木材利用技術センターへの想い> |
林業・木材産業は国際化の厳しい経営状況にもかかわらず、その役割、位置付けは益々重要になってきています。とくに宮崎県の基幹産業は地理的条件や気候から林業、木材業、畜産業、農業そして都市というように、他の地域、産業が容易に真似のできない資源循環、組み合わせの特性を持っています。それは化石資源への過多な依存から脱却し、太陽エネルギ−による資源循環を主体とした社会の連携と仕組みや政策を考えるリーダーたる位置にあるように思います。次なるステップを期待しています。 |