宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

Jajaバックナンバー

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美々津 みみつ

回船問屋の繁栄の歴史と町並みが残る美々津

回船問屋だった大きな商家

東九州の海の玄関口として栄えてきた日向市は、美々津と細島の二つの港町を中心に、そこを往き来する人と物資が織りなす独特の歴史を刻んできた。美郷町から諸塚村、椎葉村へと至る耳川の河口部にあたる美々津には、流域で産出した木炭やお茶が高瀬舟で集められ、ここから関西方面へ向けて出荷。また関西からは当時の先端の文化や芸術が流入して、そのにぎわいは「美々津千軒」と呼ばれるほどだった。

美々津の海と街並み

華やかな水運の町として、江戸時代から大正時代まで続いた繁栄の歴史を往時のままに保存しようと、昭和61年、美々津は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。火事を防ぐための白壁の土蔵や、ツキヌケと呼ばれる石畳の通り、回船問屋だった大きな商家といった特色ある町並みが、ほぼそのままの姿で残されている。また、美々津は神武天皇のお船出の地といわれ、その伝説はまるで昨日の出来事のようにいきいきと語られている。波の荒い日向灘には数少ない、天然の良港である美々津には海に夢を託してきた人々のロマンが秘められているようだ。


左)馬ヶ背/日向岬にある馬ヶ背。こちらは高さ70mの断崖が垂直に切り立つ絶景。
右)クルスの海/日向岬にあるクルスの海は、柱状節理が縦横200m以上にわたって
十字型を形成する珍しい眺望。そばには願いがかなうという「クルスの鐘」がある。

耳川の流れが生んだ歌人、若山牧水

あたたかき冬の朝かなうす板のほそ長き舟に耳川くだる

日向市東郷町に生まれ育った歌人・若山牧水は、耳川支流の坪谷川を遊び場として育った。また、子供の頃、高瀬舟で耳川を下り、美々津で初めて海を見た時の感動を詠んだ歌もある。

若山牧水記念文学館
右)東郷町の牧水公園にある若山牧水記念文学館には、牧水にまつわる多くの資料が展示されている。

神武天皇のお船出に由来
「つき入れ団子」

美々津の港から出港する準備を進めていた神武天皇一行は、予定を一日繰り上げて急遽船出することになった。里人は、餡入りの団子を献上するつもりだったのだが、急なことで間に合わず、餡も団子もつき合わせたものを差し上げたという。この「つき入れ団子」は、今も美々津の名物となっている。

つき入れ団子

美郷・入郷 みさと・いりごう

耳川の流れでつながる小さな村々の深い歴史

百済の館
百済の館/韓国の古都、扶餘(プヨ)にある王宮施設がモデル。
丹青(タンチョン)と呼ばれる極彩色の装飾が美しい。

九州脊梁山地に流れを発した耳川は、ほとんど平野を作ることなく、両岸に迫ったV字の谷を流れ下り、美々津で海へ注ぐ。その流域にある村々は総称して「入郷(いりごう)」と呼ばれてきた。それは現在の美郷(みさと)町(旧北郷村、西郷村、南郷村)と、日向市東郷町、さらに諸塚村、椎葉村まで含む非常に広いエリアだ。

それぞれに歴史や個性の異なる村々だが、ひとつ大きな共通点があり、かつてここで産出された木炭や茶などの産物は耳川を高瀬舟で下り、また木材は筏に組んで流し、美々津へ集められた。そして美々津からは廻船問屋たちによって、京阪神に送られていた。大正時代まで続いたこんな物流の形が、入郷という一体感を作ったといえるのかもしれない。

宇納間地蔵尊で知られる北郷区、百済王伝説が残る南郷区、970年の歴史がある御田祭が伝わる西郷区、木材と椎茸の村、諸塚村、平家の落人伝説がある椎葉村と、その魅力も幅広い。耳川の流れが育んだ、その多様な文化と歴史が、小さな村々に今も息づいている。


左上)椎野あじさいロード/北郷区椎野の道沿いは、全長7キロにわたって3万本のアジサイが咲く。
中)石峠レイクランド/大内原ダム湖の水面を利用したレジャー施設。
温泉、レストラン、コテージなどを備えている。
右)おせりの滝/落差70mを三段になって流れ落ちる。
周辺には遊歩道やキャンプ場があり、家族連れでも楽しめそうだ。
左下)西の正倉院/正倉院御物と同一品といわれる「唐花六花鏡」など
貴重な文化財を伝えるために、原図を基に正倉院を忠実に再建。

韓国との交流で生まれた本場の味
「手作りキムチ」

百済王伝説で知られる美郷町南郷区では、かつて百済国の本拠地だった韓国扶餘の人々との交流が盛ん。互いに視察団が訪れるなど国境を越えた親睦が深まっている。そんな交流の中で生まれた手作りキムチは、本場から学んだだけに味わいも本格的で、南郷の名産品となっている。

手作りキムチ