掲載開始日:2018年10月3日更新日:2022年11月30日
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「宮崎県平和祈念資料展示室」では、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考えていただくため、戦没者の御遺族など戦争を体験された方々の御労苦を伝える数多くの資料等を展示しています。
★平成30年、新たに「子ども向け展示コーナー」を設けました★
土曜日、日曜日、祝日、年末年始(12月29日~1月3日)、その他業務の都合により休室する場合があります。
昭和6年に始まった満州事変は、昭和12年に支那事変(日中戦争)に拡大し、昭和16年には太平洋戦争に突入しました。昭和20年の終戦まで、15年にわたる過酷な戦争の時代が続きました。
このコーナーでは、昭和初年から終戦までの過程を年表と写真で展示するとともに、「愛国婦人会たすき」「国庫債券」など戦時下の県民生活にかかわる資料や、本県関係の部隊の資料を展示しています。
戦時中は男子総人口の4分の1、ほぼ2世帯に1人強が出征しました。本県では、旧陸海軍を合わせて約15万人が戦争に参加しました。
このコーナーでは、出征や戦場での様子がわかる「馬匹徴発告知書」「陣中日誌」や、戦死者の思いを伝える「遺書」などを展示しています。
本県出身の満州事変以降の戦死者は、旧陸海軍を合わせて3万6千人以上に達しました。
このコーナーでは、戦没者の遺されたさまざまな遺品類を展示しています。
戦時中、一般国民は銃後と呼ばれました。銃後の女性たちは、戦地に向かう夫、息子、父親など愛する人たちのために千人針を縫い、ひたすらその無事を願いました。
このコーナーでは「千人針」「お守り」「慰問文」などを展示しています。
戦争が長引くにつれ、着るものや食べるものが少なくなり、ご飯がお芋やかぼちゃに代わりました。また、大人が戦争に行ったため、働く人がいなくなってしまい、子どもたちが工場などに働きに行きました。戦争は子どもたちの生活にもさまざまな影響を与えました。
このコーナーでは、当時の子どもたちの生活の様子を表したパネルや実際学校で使用していたものなどを展示しています。
戦死者が家族や郷里に宛てた手紙、手記類が閲覧できます。
戦争に関する図書の閲覧コーナーもあります。
展示室の運営管理は、一般財団法人宮崎県遺族連合会が委託を受けて行なっております。
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福祉保健部指導監査・援護課
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