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西都市 PHOTO |
古代の息吹が伝わるまち・西都古事記、日本書紀のハイライトといえるのが、「日向三代神話」だ。天孫瓊々杵尊の降臨と、山の神の娘である木花咲耶姫との結婚、その子である海幸彦・山幸彦の誕生。さらに山幸彦の孫である初代神武天皇の誕生あたりまでが、日本神話のひとつの根幹となっており、神武天皇の登場以降は「神話」から「歴史」へと少しずつトーンを変えていく。 瓊々杵尊より以前、天照大神や須佐之男命が活躍する岩戸神話などの物語は、舞台が天上界である高天原に設定されていることから、どことなくおとぎ話めいているのだが、日向三代神話以降は地上界の、それも日向が舞台になっており、宮崎に住むものとしては、途端に話が身近に感じられてくる。神話の名残りをとどめた地名やエピソードが、生き生きと受け継がれている土地ならなおさらのことだろう。 西都市は、そんな宮崎県の中でも、神話と遺跡が凝縮されたようなまちだ。311基の古墳がある日本有数の古墳群である西都原古墳群や木花咲耶姫を祀る妻(都萬)神社をはじめ、このまちに点在する史跡を歩いてみるだけで、日向神話の息吹にふれることができる。 天孫の結婚物語高千穂に降臨した天孫瓊々杵尊は、逢初川で出会った大山祇神(山の神)の娘、木花咲耶姫と結婚する。これは、天上界と地上界の神々を結びつける象徴的なイベントとなるのだが、この時、娘を請われた大山祇神は、木花咲耶姫の姉である石長姫とともに娘を嫁がせようとする。ところが、輝くばかりに美しい木花咲耶姫と比べて石長姫の方は、あまり容貌が芳しくなく、瓊々杵尊は石長姫を返して、木花咲耶姫だけを妻にめとってしまう. 父・大山祇神は「あなたの子孫が花のように栄えるように、その命が岩のように永らえるようにと、姉妹そろって差し上げたものを。これより、あなたの子孫の命は木の花のようにはかないものとなるでしょう」と嘆き、古事記には以来、「天皇の寿命が短くなった」と記されている。 一方、瓊々杵尊との結婚以前に、木花咲耶姫に求愛した鬼がいた。父・大山祇神は「娘がほしければ一夜にして石の館を建ててみよ」と難題を出すが、鬼はこれをやり遂げてしまう。それが鬼の窟だ。困った大山祇神は、鬼が寝ている間に窟の天上岩を一枚抜き、これを理由に縁組を断ったといわれている。大山祇神を祀る石貫神社には、この時、大山祇神が放り投げたといわれる岩が鎮座している。 三皇子の誕生結婚した瓊々杵尊と木花咲耶姫だが、その契りは一夜かぎりのものだったという。『天皇家のふるさと日向をゆく』(新潮社刊)の著者・梅原猛氏は、このくだりを「渡来人の王である瓊々杵尊と、土着の王の娘・木花咲耶姫との結婚には周囲の反対や本人の心にもある種の抵抗感があったに違いない」と推察している。ともあれ、一夜の契りで木花咲耶姫は懐妊するのだが、これを瓊々杵尊に疑われてしまう。嘆いた木花咲耶姫は、自らがこもる産室に火をかけて毅然として言う。 こうして、火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)の三皇子が生まれる。この時に産湯を使ったのが児湯の池で、現在の児湯郡という地名の由来になったといわれる。壮大な規模をもつ西都原古墳群などの数々の史跡が、記紀神話とどのように折り重なりながら歴史を刻んできたのか、古代に思いを馳せながら西都のまちを歩いてみると楽しい。 西都原古墳群 宮崎県立西都原考古博物館 妻(都萬)神社 児湯の池 |