5 新第三系

(1) 見 立 (2) 祖母山火山岩類 (3) 庵 川 層
(5) 花崗岩及び花崗斑岩 (6) 宮崎層群 (7) 鮮新世安山岩類

尾鈴山酸性岩類

 県中央部の尾鈴山塊は種々の酸性岩類からなり、日向市細島・遠見山半島の酸性岩類とともに尾鈴山酸性岩類とよばれている。

 この岩石は従来、石英斑岩・流紋岩・花崗斑岩などからなり、これら各岩相は相互に移化し、 基盤である四万十累層群及び庵川層を被覆あるいは貫入するとされていた (伊木,1904;斉藤,1954;野沢・木野,1956;木野,1956;宮崎県,1954,1963,1972など)。

 最近、中田(1978、1980)は、本酸性岩類が主として溶結凝灰岩及びこれを貫く花崗閃緑斑岩からなり、 溶結凝灰岩は東方に緩く傾斜する不整合面をもって四万十累層群を覆うことを明らかにした。

 溶結凝灰岩は、下部が流紋岩質、上部がデイサイト質で、これらに伴って凝灰質礫岩・火山角礫岩などが局部的に発達している。

 流紋岩質溶結凝灰岩は、岩体北東部(耳川東方)に広く分布して、厚さ400m以上であり、南西に向かって厚さを減少し、 岩体南西縁では約50mになる。本岩は暗灰−灰褐色を呈し、よく伸びた白色の本質レンズをもつ。 斑晶は主に石英・サニディン・斜長石・黒雲母で、ほかに燐灰石・ジルコン・チタン鉄鉱を含むが、磁鉄鉱は認められない。 細粒の斜長石と斜方輝石の集合したクロット、スピネルの反応縁をもつ珪線石、 斜長石・石英・黒雲母の反応縁をもつザクロ石及び菫青石が斑晶状にまれに存在する。 脱ガラス化を受けた基質は隠微晶質で、ユータキシティック組織を示す。全体的に斑晶量が少なく(容量比15〜30%)、 外来石質岩片に富んでいる。

 デイサイト質溶結凝灰岩は、岩体全体にわたって分布し、厚さ400mで、そのうち下部50m位が、 流紋岩質溶結凝灰岩との漸移層である。本岩は漸移層にみられるガラス質な岩石から、 脱ガラス化によって基質が微晶質になった岩石まで変化に富む。基質の結晶度が増す程、岩石は黒灰色から青灰色になる。 微晶質の岩石では本質レンズは識別しにくいが、風化面では突出しているレンズが認められる。 斑晶は斜長石・石英・斜方輝石・黒雲母で、そのほか斑晶状鉱物として珪線石、菫青石が含まれ、 また斜方輝石と斜長石からなるクロットが含まれる。基質は隠微晶質−微晶質でユータキシティック組織が顕著である(第8図)。 本質レンズの石英は完晶質で、球顆状ないし微文象組織を示している。流紋岩質溶結凝灰岩に比べて全体に斑晶が多く (定量比30〜40%)、外来石質岩片に乏しい。


第8図 尾鈴山酸性岩類(デイサイト質溶結凝灰岩)の顕微鏡写真(直交ポーラー)
日向市七ツバエ産、ユータキシティック組織が顕著。本質レンズは基質よりも脱ガラス化作用が進んでいる。

 凝灰質礫岩は、流紋岩質溶結凝灰岩の基底部に発達するものと、その直上に発達するものとがあり、 前者については基盤との関係と合わせて後述する。後者は、岩体北東部の日向市山ノ田付近に分布し、 流紋岩質溶結凝灰岩の巨礫(角礫)のほかに、四万十累層群に由来する円礫−亜円礫を多く含んでいるが、 デイサイト質溶結凝灰岩との関係はわからない。

 花崗閃緑斑岩は、組成・斑晶粒度・色調などの点でデイサイト質溶結凝灰岩に類似しているが、 明らかな半深成岩組織を示し、溶結凝灰岩に対する貫入接触関係も明瞭である。本岩は尾鈴山酸性岩類の中央部に位置を占め、 幅1〜3kmで、北東−南西方向に伸びた主岩体をつくるほか、いくつかの小岩体として溶結凝灰岩を貫いている。 岩石は青灰−灰色を呈し、斑晶は斜長石・石英・斜方輝石および少量の黒雲母でほかに燐灰石・ジルコン・不透明鉱物 (チタン鉄鉱・磁硫鉄鉱・黄銅鉱)・スピネルの反応縁をもつ珪線石・菫青石が認められる。 石基は微花崗岩質−微ペグマティチックで、主に石英・カリウムに富む長石・黒雲母からなる。

 本酸性岩類と基盤(四万十累層群及び庵川層)との関係については、部分的には断層関係もみられるが、 基本的には不整合関係である。

 本酸性岩類の西縁に当たる木城町春山の林道沿いではこの不整合面が観察される。 ここでは、N15゜E、40゜E、の平滑な面を境に四万十累層群の頁岩の上に灰白色塊状緻密な流紋岩質溶結凝灰岩が載っており、 溶結凝灰岩には急斜した柱状節理が発達するが、ほとんど破砕されていない(第9図)。


第9図 四万十累層群を不整合に覆う尾鈴山酸性岩類

 北西縁の東郷町深瀬南方では四万十累層群との直接関係はみられないが、酸性岩類の基底層と思われる礫岩凝灰岩互層が 露出し、これに流紋岩質溶結凝灰岩が整合的に重なっている。礫岩は砂岩・花崗斑岩などの小−中円礫及び 変形した大型軽石片を含み、凝灰質な基質をもつ。互層は20m以上の厚さを有するが、互層の上部数mは礫岩を欠き、 灰色凝灰岩のみからなる。礫岩凝灰岩互層、流紋岩質溶結凝灰岩はともに南東方へ50゜〜30゜で傾斜しており、 尾鈴山酸性岩類噴出後の構造運動が推定される。

 北縁部の東郷町中野原から日向市にかけては、北川の四万十累層群と南側の凝灰質礫岩層とが 東北東−西南西方向の断層(野沢・木野,1956 による塩見川−坪谷川構造線)で境され、 境界部は幅10〜15mにわたって圧砕されミロナイト状を呈する。凝灰質礫岩の礫は一般に円磨された 砂岩・頁岩の小−中礫を主とし、しばしば流紋岩質夜溶結凝灰岩・無斑晶流紋岩溶岩などの巨礫を含み、 基質は凝灰質である。本岩は尾鈴山酸性岩類下部層の流紋岩質溶結凝灰岩より下位であり、 現在みられる尾鈴山酸性岩類の活動以前に、流紋岩質火砕流及び溶岩を噴出した活動があったことを示している。

 日向市鳥川では前項で述べたとおり、酸性岩体内部に庵川層の露出があり、ここでは境界未確認ながら 庵川層上位に亜角礫の多い凝灰質礫岩が、さらに上位に流紋岩質溶結凝灰岩がのっており、 この地区では尾鈴山酸性岩類の基底は比較的浅い位置にあると考えられる。 なお、尾鈴山酸性岩体北縁部の庵川北方尾根では、四万十累層群の上に流紋岩質凝灰岩が載っており、 一部に火山角礫岩を伴っている。

 また名貫川流域のデイサイト質溶結凝灰岩には基質が著しく再結晶してホルンフェルスとなっているものが多いが、 この分布は花崗閃緑斑岩の分布とは無関係で、熱源としては別個の貫入岩体が推定され、 小丸川中流の四万十累層群に知られるホルンフェルス帯と関連している可能性が大きい。

 尾鈴山酸性岩類(デイサイト質溶結凝灰岩)のK-Ar年代(全岩)は約1,500万年とされている(柴田・野沢,1968)。