宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
ザインタビュー「原辰徳さん」

profile
1958年福岡県生まれ。東海大相模高校、東海大学を経て1981年ドラフト1位で巨人軍入団。長距離打者としてプロ入り1年目からレギュラーに定着し、新人王を獲得。2年目から4番をまかされ、中心打者として活躍する。1995年現役引退後は巨人軍ヘッドコーチなどを歴任、2002年から長嶋茂雄監督の後を受けて監督に就任、1年目で日本一になる。2005年、3年ぶりに巨人軍監督に復帰。現役時代の通算成績は打率2割7分9厘、382本塁打、1675安打。打点王1回、MVP1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞2回。

宮崎はジャイアンツのふるさと。
来期はチャンピオンフラッグを掲げて帰ってきたい。

4年ぶりのV奪回に向けて始動した原ジャイアンツ。
原辰徳監督の初仕事の場となった秋季キャンプ(サンマリンスタジアム宮崎/宮崎市)を訪ねて、来期にかける抱負やキャンプ地宮崎についての思いを語っていただきました。

▼3年ぶりに監督に就任されて、この秋季キャンプでは例年以上の活気や緊張感が伝わるように思います。現在の心境について聞かせてください。

原:前回は長嶋監督の下でヘッドコーチを経て監督になりましたので、チームや選手をよく理解した上での就任でした。今回は2年間チームを離れていたので、細かな部分の把握はこれからですが、むしろ新鮮な感じがしていますね。投手は工藤と前田をのぞく全員、野手もほぼ全員が参加しています。今期5位という厳しい状況に向き合い、乗り越えるために何をやるのか。その第一歩が始まったというところですね。

▼以前から「ジャイアンツ愛」という言葉を掲げておられますが、その意味は?

原:ジャイアンツのユニフォームを着ることの喜びと誇りを胸に、選手、スタッフを含めたわれわれ一人ひとりが頑張っていこうと。全員でジャイアンツというおみこしを担いで、その上にファンを乗せて、まい進していこうと。やはりジャイアンツは特別なチームですし、その強さはジャイアンツの旗の下にすべての力を集約したところに生まれてくるものですから。

▼1959年に始まった巨人軍の宮崎キャンプは、今年で46年目になりました。巨人軍にとって宮崎とはどのような場所なのでしょうか。

原:われわれにとって宮崎はまず修練の場であり、1年のスタートを切る土地であり、またシーズンの戦いを終えて帰ってくるところでもあります。チーム、選手にとって第二のふるさとといいますか。巨人イコール後楽園球場、東京ドームであるように、巨人イコール宮崎ですね。気候も温暖ですしファンも温かい。宮崎県や宮崎市も、施設整備やキャンプ受入れなどでいつも協力していただいていて感謝しています。

▼監督ご自身も選手として、また、コーチ、監督として何度も宮崎キャンプを経験されていますが、特に思い出に残るシーンはありますか?

原:やはり入団一年目、81年春のキャンプですね。初めてジャイアンツのユニフォームを着て、当時の県営球場のグラウンドに立った時の感激は忘れられません。今、入ってくるルーキーたちも同じではないでしょうか。春の宮崎キャンプから巨人選手のプロ野球生活が始まりますから。今でも宮崎に来ると、さあ頑張るぞという気持ちになります。太平洋を一望できる宿舎で波の音で目覚めると、すがすがしい気持ちになりますしね。宮崎牛や地鶏、魚、野菜などの食材もおいしいですし、野球をやるための場所に帰ってきた、という感じがします。

▼4年ぶりのV奪還に向けて、大きな期待が集まっています。来期の抱負を聞かせてください。

原:ジャイアンツというチームは優勝することが使命ですので、とにかく優勝に向けて全力を尽くしていきます。来年の秋季キャンプには、われわれのふるさと宮崎に、チャンピオンフラッグを掲げて帰ってきたいですね。

ありがとうございました。来期のご活躍を期待しています。

2005年10月29日 サンマリンスタジアム宮崎にて

    

原辰徳さん

ブルペンに打撃ゲージに、原監督の動きはめまぐるしい。その合間をぬってコーチとの打ち合わせや取材などもこなす。持って生まれた華やかさと野球への情熱に、来期への期待は大きい。