宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
昭和40年代飫肥の街並み

昭和40年代の飫肥の街並み。
子供たちの行列がゆく。

飫肥の商家・川越家の膳

日南市

初代伊東祐兵の入城から廃藩置県まで約300年間、飫肥は城下町として栄えた。質実な気風で知られるが、進取の気象に富み、明治になると特産品である木材を商う飫肥商社をいち早く立ち上げるなど、新しい時代の活気が、この町にあふれていたという。

飫肥の商家・川越家もまたその時代に、武士からの転身で商いを始め、所有する山林から伐り出された飫肥杉は堀川運河を下って全国に出荷されていた。正月ともなると取り引き先の年始の挨拶や出入りの人足たちで川越家は大変なにぎやかさで、「元日から三日までは座敷いっぱいに人がいたものですよ」と、今回、料理を作っていただいた川越喜美子さんは語ってくれた。

川越家の膳

一の膳は、雑煮、紅白なます、数の子、筑前煮、黒豆、厚焼き玉子、寒天、蒲鉾、煮しめ
二の膳は、ビル(シロアマダイ)の塩蒸し、きんとん、きんかんの甘煮、れんこん、里芋のぬた、むかでのり、いんげん豆

今町はすまし、本町は味噌汁

明治の始めから飫肥今町に伝わる川越家の正月料理は、写真のようにざっと11皿が並ぶが、本来はさらに、まわれまわれ(日南地方の蒲鉾)や、ブリの糸造り、キジなどの野鳥、とっておきの料理としてオオニベの卵の塩蒸しがつく。お客が多いため、直径1mほどの大皿にいくつも料理を作っておいて一膳ずつ盛り付けて供していた。

雑煮は黒豆のもやしが入ったすましで、これは今町スタイル。本町の方は味噌汁になる。隣町で雑煮が違うのも興味深いが、かつては武士の家はすましということになっていたそうだ。正月のご馳走としては、ビル(シロアマダイ)の塩蒸しがある。関西では『ぐじ』と呼ばれ最高級魚とされているが、宮崎では特に賞味するのは珍しい。関西との交流の影響だろうか。

名物の厚焼き玉子は専用の焼き鍋で数時間かけて焼いていた。この皿はいわゆる折詰料理で、実際に箸をつけるというよりも家に持ち帰る土産とされた。また、煮しめの代わりにとろみをつけた筑前煮になるところも川越家風だ。お酒は正月に限らず、一年中、灘から樽で取り寄せた日本酒を飲んでいた。県外との交流が深く、いろいろな土地の文化が流れ込んでいた飫肥を象徴するようなハイカラなお膳だ。

    

取材協力:川越喜美子さん