宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
ザインタビュー「大山志保さん」

profile
大山志保(おおやま・しほ)さん

宮崎市出身。10歳の時からゴルフを始め、熊本中央女子高校、日本大学に進学。日本女子アマ優勝などアマ20冠の実績を築いて、2000年プロデビュー。2003年初優勝、2005年には地元宮崎で開催されたLPGAツアーチャンピオンシップ・リコーカップに優勝。2006年8月にはツアー史上初の月間3勝を挙げ、今年度獲得賞金は史上3人目の1億円を突破。攻めと粘りのゴルフで初の賞金女王をめざす。

目標は賞金女王。
夢はアメリカツアーへの挑戦。
攻めと粘りのゴルフを貫いてひとつひとつ、
かなえていきたいですね。

今期、早くもツアー5勝。8月は史上初の月間3勝を挙げて目標だった賞金女王も射程に入ってきたプロゴルファー、大山志保さん。大淀川の河川敷コースで腕を磨いた少女時代のことからふるさと宮崎への思い、将来のアメリカツアー挑戦まで、思いがけないエピソードを交えて語っていただきました。

今年は大山さんの年といえるような大活躍ですね。まずはゴルフを始められた頃のことからお話しください。

大山:ゴルフは父に教えられて10歳の時に始めたのですが、「プロゴルファー祈子」というテレビドラマがきっかけだったんです。主人公が優勝してトロフィーをかざしているシーンに感動して、かっこいいなあと。それから、父と一緒に宮崎市内の練習場や、大淀川の河川敷コースに通うようになりました。

その後、宮崎市内の中学を卒業されて、名門ゴルフ部のある熊本中央女子高校に入学されますね。

大山:当時、熊本中央女子高校におられた高村亜紀さんに憧れたのも、進学の大きな理由だったと思います。高村さんには中学時代の大会でお会いしたことがあって、当時の私の目標でしたから。入学してみると、一級上の先輩に不動裕理さんもおられました。

そして高校2年の9月に、日本女子アマで優勝して一躍注目を集めます。

大山:あの大会は自分のベストスコアが2回も出たりして、運良く勝っただけだったんです。正直いって、優勝するような力があったわけではなくて。ただ、高校時代は、猛烈に練習はしましたね。うまくなりたい、人と同じことをしたくないという一心でした。

ようやく不動さんの背中が見えてきました。

日本大学を経て2000年にプロ入りされた時、高校の先輩の不動裕理選手は初の賞金女王を獲得します。意識はされましたか。

大山:プロになった時、「不動さんにはそのうちに追いつける」と思っていました。一緒に練習した時も、「このくらいなら大丈夫だな」と感じたのですが、不動さんの凄さがわかったのはそれからでしたね。継続する力というか、不動さんは一度決めたことは絶対に守るし、休まないんです。どんなに簡単なことでも、やり続けるというのは大変なこと。それを当たり前のようにやり続けて、決して揺るがないのが不動さんなんです。いずれ追いつけるはずが、実際はとんでもなく遠いところにいらした。昨年、リコーカップで優勝した時に、ようやく背中が見えてきた感じでした。

やはり、目標は不動さん。

大山:はい。攻めるゴルフは自分の信条だと思っていますので。ロングパットでも、ショートするのが許せないというか(笑)。極端にいうと、1mショートするくらいなら、5mオーバーした方がいいと。そしてネバーギブアップ、途中で決してあきらめないことを大切にしたいと思っています。

宮崎のこと。アメリカのこと。

現在も宮崎を拠点に活動されています。プロゴルファーとして宮崎の環境はいかがですか。

大山:私にとって宮崎は生まれ故郷ですから、生活のベースですね。自宅の玄関から、スーツケースを2つ持って出かけて、全国のツアーを回っています。月に半分くらいは宮崎にいて、こちらにいる時は練習中心の生活ですね。ゴルフをする環境としても恵まれていると思いますよ。

宮崎のお気に入りを教えてください。

大山:青島が大好きなんです。もともと走ることが好きなので、トレーニングを兼ねて青島の周辺をよく走ったりしています。それから、宮崎にいる間はなるべくチキン南蛮を食べるようにしています(笑)。よその土地ではなかなか食べられないので。

最後に、これからの目標や夢をお話しください。

大山:近い目標としては、リコーカップ二連覇と、賞金女王ですね。3年後、5年後というスパンでいうとアメリカでプレーしたいと思っています。

アメリカのことは初めてお聞きしました。

大山:やはり世界最高の水準ですから。数年後にはアメリカに定着して、世界のトッププロとプレーできていたらいいなあと思っています。

大山志保さん

2006年7月28日 宮崎市内のゴルフ練習場にてインタビュー