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宮崎の田の神図鑑

田の神像宮崎の田の神像は、「神官型」「農民型」「地蔵型」と大きく三つに分類されているが、そうした一応のタイプはあるにしても、どれひとつとして同じ顔がないばかりか、それぞれがあまり似てもいない個性の豊かさがある。三百年ほど前に出現して以来、田を守り、人々の暮らしを見つめてきた田の神さあには、土地ごとの長い歴史をそのまま映しているようだ。

ここでは、小林市、えびの市、都城市の三つの地域から、代表的な田の神像をピックアップしてみた。誰が、どの時代に、どのような気持ちを込めて建立したのか、わからないものも多いのだが、ひとつひとつの田の神さあを見ていると、その祈りの深さが伝わってくるようだ。

宮崎の田の神像の分布
市町村 地蔵型 神官型 農民型 自然石 僧侶型 その他
えびの市 3 18 82 35 1 1 140
小林市 2 25 13 3 4 2 49
野尻町 2 23 9 3 - - 37
高原町 - 9 3 1 1 - 14
都城市 9 58 52 2 - 9 130
三股町 - 6 1 1 - - 8
綾町 - 9 1 - - 1 11
国富町 - 8 1 - - 5 14
宮崎市 - 36 24 - - 8 68
16 192 186 45 6 26 471
この表は、『宮崎の田の神像』(平成9年発行)のデータを基に、都城市、えびの市、小林市がまとめた調査結果を加えて作成したものです。ほかにも未確認の田の神像があると思われますので、参考としてご覧ください。

小林市

年代がはっきりしているものでは最古の田の神像がある小林市は、宮崎の田の神さあのふるさと。神官型の像が多いのも特徴で、ここから大淀川水系を下るように分布を広げていったのではないかといわれている。現在、小林市教育委員会が市内の田の神像の調査を行っており、近く本にまとめる予定。完成が楽しみだ。

二原(にわら)の田の神 芹川(せいこう)の田の神 柏木の田の神
二原(にわら)の田の神 農民型
小林市大字真方 建立:大正8年
一見、神官や仏像のような造形だが、かぶり物や稲穂を持つ様子などから、田の神舞いの踊り手のようだ。昭和52年に「おっとい」にあい、行方がわからなくなったが、ほどなく近くの田のあぜ道に焼酎一本と置手紙とともに発見された。
芹川(せいこう)の田の神 農民型
小林市南西方字芹川 建立:大正5年
右手はしゃもじ、左手は受け手の形をしている。姿から農民型に分類されているが、そのポーズは僧侶のようでもある。素朴でユニークな造形だ。
柏木の田の神 神官型
小林市大字堤
両手を前で組んだ神官型。おだやかで気品のある田の神像だが、由来などは不明。
松元の上の田の神 大丸の田の神 轟木の田の神
松元の上の田の神 農民型
小林市大字堤字松元の上 建立:弘化3年(1846年)
右手にしゃもじ、左手に枡を持つ。田の神舞いを模した像で、膝を折り、中腰になって今にも踊り出しそうな姿だ。
大丸の田の神 農民型
小林市大字東方土田
右手にしゃもじ、左手に茶碗を持つ。建立年は不明だが、大丸地区は弘化年間(1844年〜1847年)以降に開田されていることから、その年代のものか。
轟木の田の神 自然石
小林市大字南西方字下木場
自然石が二体並んでまつられている。山の神や田の神として自然石をまつる風習は全国にあるが、宮崎ではそれほど多くない。
野間の前の田の神 夏木の田の神  
野間の前の田の神 神官型
小林市大字水流迫
元禄年間(1688年〜1703年)頃に開田された中に建てたものといわれている。毎年4月、近くにある馬頭観音とともに、神主を招いて祭りを行っている。
夏木の田の神 神官型
小林市須木大字鳥田町字夏木
言い伝えによると、幕末の頃、物々交換などの交流で往き来が盛んだった高岡から持ち帰ったものといわれる。

えびの市

えびの市は、小林市と隣接しているにも関わらず、神官型ではなく農民型が多い。これは、田の神のルーツの地である薩摩半島から、川内川を遡ってやってきた文化だという説がある。大淀川と川内川の分水嶺が、文化の境界になっているのだとしたら興味深い。近年、新作の田の神さあも続々と登場している。

大明司の田の神 湯田の田の神 昌明寺の田の神
大明司の田の神 農民型
えびの市大字大明司 建立:昭和49年
右手にしゃもじ、左手に茶碗をもつ。
湯田の田の神 農民型
えびの市大字湯田 建立:昭和29年
右手に稲穂、左手にしゃもじを持つ。高さ21センチの回り田の神。
昌明寺の田の神 農民型
えびの市大字昌明寺
建立年は不明だが、大正時代にどこからか「おっとって」きたもの。おへそを出した珍しい姿で、TVコマーシャルにも出演。
大明司の田の神 水流の田の神 中内堅の田の神
大明司の田の神 農民型
もともとは、おっとい田の神。子供たちがこの像の頭でヨモギをついて遊んだため、頭部が大きくへこんでいる。
水流の田の神 神官型/座像
えびの市大字水流菅原神社境内 建立:天明6年(1786年)
両手を組んで座る神官型。衣だけが赤く着色される。
中内堅の田の神 神官型
えびの市大字内堅 建立:享保10年(1725年)
狩衣姿の神官座像。えびの市で二番目に古いもので、ゆったりとした風格のある田の神像。
東原田の田の神  
東原田の田の神 農民型
えびの市大字原田八幡墓地脇 建立:左は弘化4年(1847年)、右は不明
二体並んでまつられている。右の像の建立年は不明だが、江戸末期の作風といわれる。左の像は、大きな米俵を二俵担いでいる。

都城市

都城市の田の神さあは、島津氏発祥の地という土地柄もあり、鹿児島のものに似た農民型が多い。一方、志和地地区を中心に神官型も多数分布しているのは、霧島信仰の影響だろうか。「おっとい田の神」を防ぐためか、コンクリートで固められた像が多いのも特徴。昔から、実りの良い田が多かったのだろう。

下水流の田の神 梅北西生寺の田の神 乙房神社の田の神
下水流の田の神 農民型
都城市下水流町
農民型に分類されるが、衣を着て大きな風呂敷を背負い、胸の前でしばっているのは、布袋様などからの連想だろうか。
梅北西生寺の田の神 農民型
都城市梅北町西生寺
右足を前に出し、袖をひるがえした田の神舞いの姿。顔立ちもやわらかく、いかにも長い間、田を見守ってきた神様といった印象がある。
乙房神社の田の神 農民型
都城市乙房町馬場 建立:文政9年(1826年)
右手にしゃもじ、左手に飯を盛った茶碗。大きな帽子をかぶった典型的な農民型。おだやかさと力強さに満ちた表情の田の神像だ。
上水流の田の神 岩満の田の神 菓子野の田の神
上水流の田の神 神官型
都城市上水流町陣 建立:宝暦2年(1752年)
太い眉とつり上がった目が特徴的な神官型。両手を胸の前に組み合わせた姿は、祈祷か修行の姿を模したものだろうか。
岩満の田の神 神官型
都城市岩満町 建立:安永5年(1777年)
背筋を伸ばし、堂々とした神官型の田の神像。切れ長の目がりりしい姿。コンクリートで土台に固めてある。
菓子野の田の神 農民型
都城市菓子野町
右手にしゃもじ、左手に茶碗を持った農民型の立像。衣にうっすらと着色した跡が残っている。優しい笑顔の田の神像だ。
梅北麓の田の神  
梅北麓の田の神 僧衣立像型
都城市梅北町麓
傘をかぶった珍しい僧衣立像型。詳細は不明だが、鹿児島生まれではないかという説もある。