宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
祓川神楽
祓川神楽
祓川神楽

狭野神楽とともに霧島信仰との関わりが深い修験系の神楽で、真剣を使う勇壮な舞いが特徴。南九州の平地神楽のひとつのルーツといわれる。毎年12月第2土曜日、祓川神楽殿で行われる。昭和44年、県の無形民俗文化財指定。

祓川神楽

高千穂などで神庭(こうにわ)と呼ぶ神楽の舞台を、祓川(はらいがわ)神楽では講庭と書く。結界によって外部と隔たる神聖な空間とされる神庭・講庭は、多くの神楽では建物の内部に設けられるのだが、祓川神楽、狭野(さの)神楽などの霧島神楽では、昔から神域の土の上で奉納されてきた。最近では新設された神楽殿での奉納が多いのだが、霧島山をのぞむ講屋に寒風が吹きすさぶ中、白刃をひらめかせて舞い継がれてきた勇壮な霧島神楽は、修験山伏たちの荒行の迫力と霧島信仰の深さを伝えている。

霧島信仰と神舞

姿のよい山の頂上に神が宿るという信仰は、日本のみならず東アジア圏に広くあるが、古来から何度も爆発を繰り返してきた霧島連峰は、怒れる神の姿そのものであり、また豊かな土地を守る神として、南九州一帯の信仰を集めてきた。その霧島信仰の拠点である霧島六社権現のひとつ、霧島東神社に伝わるのが地元では神舞(かんめ)と呼ばれる祓川神楽だ。

神社は信仰の対象であるとともに、修験者たちの修行の場でもあった。山を走り、沢を歩く荒行を自ら行うとともに、人々によその土地の情報を伝え、教化する役目を担っていたといわれる。そうした修験者によって伝えられたという祓川神楽は、霧島への信仰が根底に流れているわけだが、番付二番「門境」では、山の神が登場する。

ふつう山の神というと、集落のそばの里山の神、というほどのニュアンスで、どちらかというと身近なものだが、ここではやはり気高く、険しい霧島の山の神なのだろう。その神様が、問答を行い、神歌を歌うことで神楽は始まる。また、十八番「田の神」など農の神の舞いも重要で、これが平地の春神楽(稲作神楽)や田の神信仰に深い影響を与えたといわれる。山の神が里に降りて田の神になる、という言い伝えは、祓川神楽・狭野神楽から生まれたものかもしれない。

 

神楽の世界