宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
高千穂神楽
高千穂神楽
高千穂神楽

写真上
神庭の上には彫りものが巡らされる。それぞれ方角に応じた意味が込められている。
写真中
安産を願う女性の帯をたすきにして、太刀を手に舞う「岩潜」。
写真下
夜明け、神送りの前に行われる「繰り下ろし」の儀式。祭りの場を解く意味があるという。

高千穂神楽

氏神の祭りが原点

天孫降臨神話が伝わり、国見ヶ丘や天(あまの)岩戸(いわと)、天(あめの)安(やす)河原(かわら)などの古事記に登場する神話の舞台が点在する高千穂は、神楽の里としても全国に知られている。といっても「高千穂神楽」は総称で、地元では天岩戸神楽、三田井神楽といった具合に、それぞれの集落の名で呼ばれ、土地ごとの歴史や習俗を反映した独特の神楽が伝えられている。

町内には五十六の集落があるが、そのうち夜神楽が舞われているのは二十数か所で、ほかは昼神楽として神社などで数番の神楽が奉納される。山が色づき、川の水もひきしまる晩秋から冬にかけて、高千穂は町全体が神様と共にあるような雰囲気に包まれ、その風情にひかれて県内外の神楽ファンがこの地を訪れている。

高千穂の神楽は、手力雄(たぢからおの)命(みこと)や天鈿女(あめのうずめの)命(みこと)が登場するクライマックスの岩戸開きがあまりにも見ごたえがあるために、記紀神話を再現したものという印象があるが、土地の人にとっては、集落の守り神である氏神への感謝と祈りを込めた村祭りの意味あいが強いという。収穫への感謝を込めた秋祭り、冬至前後に太陽復活を祈る儀礼としての冬祭り、再生の季節に五穀豊穣を願う春祭りといったそれぞれの性格が混じり合いながら、氏神への感謝を表し、神と共に一夜を過ごす「神遊び」の場が、高千穂神楽なのだろう。

三田井神楽など、伝統的な形を色濃く残した地区の神楽は、まず氏神社から神楽宿へ猿田彦を先頭に行列をなして、神を迎える「舞い込み」から始まる。道中歌として「神の道、千道百道その中に、中なる道に神ぞまします」と歌いながらの御神幸(ごしんこう)行列は、観光客はあまり目にする機会はないが、住民と氏神のつながりの深さを感じることができる光景だ。

神迎え

神楽宿では、舞台となる神庭(こうにわ)固めの儀式、神楽の由来を述べる「御神屋(みこうや)始め」が行われ、いよいよ神楽三十三番の開幕となる。番付は地区によって異なるが、高千穂神楽の大きな特徴として、「岩戸開き」をモチーフにした舞いが多くその内容がダイナミックであることと、「御柴(おんしば)」にあるように神と人の距離が近いことがある。また、舞手が女性の帯をたすきにして安産を祈願する「岩潜(いわくぐり)」も、明るい雰囲気をもつ高千穂神楽らしい番付といえるだろう。

神楽と陰陽五行説

高千穂神楽の舞手の呼び名である「ほしゃどん=奉仕者」は、法者に由来するという説もあり、県内の神楽は修験道との関連が深い。もともと神に捧げる素朴な舞いとして伝承されていたものを、修験者たちが監修・整理して現在のような様式にまとめたといわれており、その関連で中国の古代思想である陰陽五行説の考えが、神楽には残されている。

たとえば、舞台である神庭や神の依(よ)り代(しろ)である注連(しめ)には青、赤、黄、白、黒(紫)の五色の布がつけられるが、これは、「木・火・土・金・水」の五行を表したものとされる。また、神庭をとりまく彫(え)りもの(和紙を切り抜いて作る飾り)も、東に木、南に火、西に金、北に水、中央に土が配されており、森羅万象の調和を願う陰陽五行の思想が込められている。

こうした特徴は県内の神楽の多くに見ることができるが、高千穂神楽は特にそれが洗練された様式となって伝えられており、ひとつひとつの舞台装置に、深い思想をみることができる。

 

神楽の世界