宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

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田中幸雄さん

昨シーズン、プロ野球史上35人目となる通算2000本安打の偉業を達成、シーズン終了後に、現役引退を表明した田中幸雄さん。22年間のプロ野球人生と、これからの夢について語っていただきました。

まずは選手生活おつかれさまでした。今の心境はいかがでしょうか。

例年ですと、シーズンに向けて気合いが入っていく時期なのですが、今年は自主トレもキャンプもないので、何か不思議な気分ですね(笑)。でも、現役が終わったという実感はまだありません。

野球との出会いは、いつ頃でしたか。

小学5年生の頃です。もともと、ボールを扱うのが好きで、竹の棒をバット代わりに、毎日友達と遊んでいました。そんな時、学校の近くで商店をされていた方が少年野球チームを作り、そこに入ったのが始まりです。

都城高校時代には、春夏連続して甲子園に出場。卒業後、ドラフト3位で日本ハムに入団されました。

高校時代の練習は、とにかくハードで、規律も厳しかったです。忍耐強くやることを学んだのも、この時期だったような気がします。プロに入りたての頃は、憧れのプロ野球選手になれたことが、何よりうれしかったですね。次第にせっかくプロになったのだから、レギュラーになって活躍したい、そのためには練習をして技術を上げるしかないと思うようになりました。

長く現役を続けられた理由を、ご自分ではどう分析していますか?

一言でいうと、「人」に恵まれていたということと思います。入団3年目くらいからレギュラーに定着できたのですが、当時の監督だった高田繁さん(現東京ヤクルトスワローズ監督)には、普通なら試合を外されるところを、ミスしても、ミスしても使ってもらいました。あの監督でなければ、今の自分はなかったと思います。女房の存在も大きいです。22歳のときに結婚して、食事の面から一切のサポートをしてもらいました。プロ野球選手は、生活が不規則なので、体調面の管理が難しいものです。試合で結果が出ない時など精神的な支えにもなりました。

田中さんというと、ユニフォームからはみ出すような、太い二の腕が印象的です。始めから、筋骨隆々だったのでしょうか。

入団した時、一軍で活躍する先輩が、寮でウェイトトレーニングを熱心にやっているのを見て、自分でもやってみようと。当時のプロ野球では、ウェイトトレーニングを取り入れる選手はそれほど多くなかったのですが、ケガの防止やスピードやパワーをつけるために効果的でした。現役を長く続けるうえでも、役立ったと思います。

2000本安打達成

2000本安打達成の瞬間は、ちょっと照れくさかったです。

2000本安打という数字を意識したのはいつ頃でしたか。

1900本目を打って、残り100本を切ったあたりですね。その前のシーズンまで年間130本くらいをコンスタントに打って順調でしたが、監督が代わったこともあり、出場機会が大幅に減りました。あきらめかけた時期もありましたが、這いつくばってでも達成したほうがいいという周りの助言もあり、続けることができました。

記録が目前に迫りながら、試合に出られないことへの苛立ちはなかったでしょうか。

もともとあまり深く考えるタイプではないので、苦しみはなかったですね。とにかく練習するしかないと思っていました。試合中は、いつもプレーのことばかり考えていますが、ユニフォームを脱ぐと、余計なことは一切考えません。明日になればなんとかなるだろうと。

2000本目を打った瞬間はどんな気持ちでしたか?

ヒットを打った直後に、チームメイトがワーッと駆け寄ってきて、花束を渡されまして。うれしいというより、何か恥ずかしいというか、照れくさいような気持ちが強かったですね(笑)。目立つことはもっぱら苦手です。

22年間ヒットを積み重ねて、偉業を達成された田中さんの姿は、努力の大切さを教えてくれるお手本のような存在だと思います。田中さんに憧れる野球少年も多いと思いますが、夢を実現するために、何かアドバイスがありましたら。

自分の場合、野球がとにかく好きで、少しでもうまくなりたいという一心で、ここまで来ることができました。好きであることが何よりと思います。好きであれば、自分で考えて練習することができます。人に教えられてうまくなる選手もいるでしょうが、自分の場合はその都度、必要な練習を自分で考えてやってきたように思います。

他の分野でも通じることですね。

今、ゴルフに熱中していまして、やればやるほど上手くなる、楽しくなるという気持ちをもっています。この感覚は少年時代、野球を始めたときにとてもよく似ています。「プレーを楽しむ」という意味も、こういうことなのでしょうね。

これからの夢は?

人を教えるのはとても難しいことです。プロの選手を教えるのはなおさらですが、将来、チャンスがあれば、指導者としてユニフォームを着たいと思っています。そのために今は、いろいろな勉強をしたいと思っています。

最後に、県民の皆さんへメッセージをお願いします。

長い間、ご声援をいただき本当にありがとうございました。心から感謝しています。2000本の記録が迫ったあたりでは、宮崎でも連日報道され、達成後は大きく報じてくださったと聞いています。プロ野球には宮崎出身のプレーヤーが多くいますので、これからもその後輩たちを応援してほしいですね。

本日はありがとうございました。これからのご活躍をお祈りしております。

07年12月27日、県庁にて

田中幸雄さん

たなか・ゆきお
1967年都城市生まれ。都城高校2年生の春と夏に甲子園に出場。1985年にドラフト3位で日本ハムに入団、好守好打の内野手として活躍。ベストナイン4回、オールスター出場9回、ゴールデングラブ賞5回獲得。95年に打点王。2007年5月12日にプロ野球史上35人目の2000本安打達成。同年現役引退。12月に県民栄誉賞を受賞。