宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

 

Jajaバックナンバー

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古代の習俗に彩られた御神幸に百済王族の伝説をしのぶ
師走祭り

毎年1月最後の金曜〜日曜 美郷町・木城町
問い合わせ●美郷町企画情報課 0982ー66ー3603

師走祭り
田の中に設けられた二十数基のやぐらやたき物に点火され、迎え火が燃え上がる中、神幸は父の待つ神門へと続く。
日向に逃れてきた百済王族

毎年1月下旬、美郷町神門(みかど)神社と木城町比木(ひき)神社で行われる師走祭りは、百済王禎嘉(ていか)王と、その子の福智王にまつわる悲話を、現代に伝える。西暦660年、百済は唐・新羅(しらぎ)の連合軍に攻められて、首都扶余(プヨ)が陥落。当時友好関係にあった日本(当時「倭(わ)」のくに)は援軍を送るが、663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで敗れ、百済は4世紀以前から続く歴史を閉じることになる。

伝説によると、百済を逃れた禎嘉王、福智王一行は安芸国(広島県)の厳島に到着。さらに安住を求めて日向国(宮崎県)に向けて船を出すが、途中嵐に遭い、禎嘉王は現在の日向市の金ヶ浜(かねがはま)に、福智王は現在の高鍋町の蚊口浦(かぐちうら)に漂着する。禎嘉王は美郷町神門に、福智王は木城町比木に居を定め、しばらく平和に暮すが、神門で追討軍との戦いが起こり、禎嘉王は流れ矢を受けて戦死する。

その後、禎嘉王は神門神社に、福智王は比木神社に祀られた。師走祭りは、百済王族をしのび、息子の福智王を父の禎嘉王に年に一度再会させてあげたいという村人の優しさから始まった御神幸祭だ。

神事

木城から神門へ三日間の神幸

祭りが行われるのは、1月最後の週末。以前は旧暦の正月前だったことから、福智王が師走の挨拶に父を訪ねる様子を再現したものといわれる。 一日目。比木神社に集まった一行は、禎嘉王が漂着した金ヶ浜でみそぎ神事の後、父とともに戦死した二男華智王(かちおう)を祀る伊佐賀神社で、神門からの一行と合流。禎嘉王の墓と伝わる塚の原古墳で村人の出迎えを受け、神門神社をめざす。道中、敵の目をくらますために野火を放ったという伝承にちなんで、道の枯れ草に火をつけながらゆく。夕暮れ、高さ10メートルにも及ぶ壮大な迎え火の中、御神幸の一行が神門神社に入るのが、祭り一番のハイライトだ。

二日目。ご神体の衣替えの後、王族親子を助けた地元の豪族益見太郎(ますみたろう)(ドンタロさん)の塚の前での神事があり、夕方から深夜まで、神楽が奉納される。この神楽は親子再会を祝う宴の舞いでもあり、人々の歓声に包まれる。最終日の朝、かまどのすすを互いの顔に塗り合う、「へぐろ塗り」という珍しい行事がある。これは、別れの悲しみを笑いの中にまぎらすものだという。

続いて一本鳥居で行われる「下りまし」では、台所用品を持って一行を見送る女性たちの「サラバー、オサラバー」の声がいつまでも響き、祭りが終わる。「オサラバー」とは韓国の言葉で「生きてまた会いましょう」という意味だという。1000年以上も守られてきたと伝わる師走祭りには、異国の王族の末路を思う、地元の人々の温もりが受け継がれているようだ。

神事
18名の一行が、遠く比木へ去り行く神幸を、炊事道具などを手に持ち高く振って「オサラバー」と声を上げて、別れを告げる。(オサラバーの「サラ」は韓国語で「生きていて、また逢おう」という意味。)

東大寺正倉院を忠実に再現
西の正倉院神門神社には、4世紀以降の銅鏡が社宝として伝わっているが、そのうちの「唐花六花鏡(ろうかろっかきょう)」は、奈良の東大寺正倉院にあるものと同じものであることがわかった。これを機に、工法や材料を含めて、正倉院を忠実に再現した西の正倉院が平成8年に完成。美しい校倉造の内部には神門神社の宝物などが収められ、歴史の厚みを感じさせてくれる。

伝説がつなぐ日韓交流の架け橋
百済の館平成3年、百済王伝説が縁となり、当時の南郷村(現在の美郷町南郷区)と韓国・扶余邑(プヨウプ)の間で、姉妹都市の調印が結ばれ、平成21年には締結20周年を機に、あらためて美郷町と扶余邑は姉妹都市提携を更新した。百済の館は、かつて扶余にあった王宮の客舎を再現したもので、丹青と呼ばれる鮮やかな色彩が美しい。

写真左)西の正倉院 写真右)百済の館
写真左)西の正倉院 写真右)百済の館

 

海幸彦・山幸彦にちなんだ伝統行事。冬の海に浸かり、無病息災を祈る。
青島神社裸まいり

1月第2月曜(成人の日) 宮崎市青島
問い合わせ●宮崎市青島地域センター 0985ー65ー1231

青島神社裸まいり

裸まいりは、鬼の洗濯板で知られる青島神社の冬の行事。昔からこの日に参拝すれば、お百度参り十回分のご利益があると伝えられている。その由来は神話の時代、山幸彦が兄の海幸彦から借りた釣り針を探し求め、海神宮から帰られた際、村人たちが出迎えの衣類をまとう間もなく、裸のまま出迎えたという伝承にちなんでいる。

女性の祭り装束男性は白足袋とふんどし、女性は白足袋に短パン姿で繰り出し、約300名が寒風吹く冬の海に浸かって身を清め、参拝する。約1200年の歴史をもつといわれる青島神社周辺を舞台に、気迫あふれる若者や氏子たちが無病息災を祈る姿は、見るだけで身が引き締まる勇壮さがあり、新春の風物詩となっている。


宮崎一村一祭