宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
ちょろ舟のカツオ・マグロ漁

記紀に繰り返し語られる天皇一族と南九州の女性の婚姻は、大和と日向の結びつきの強さを物語る。仁徳天皇の妃となった髪長姫は、どのような人物だったのだろうか。(写真:13号墳)

300kgもある大型マグロと渡り合った
小さくずんぐりした帆掛け舟

カツオ、マグロ漁の基地として知られる日南市油津港がマグロ景気に湧いた昭和の初め頃、近海マグロ漁の主力を担ったのが、チョロ舟と呼ばれる小さな帆掛け舟だった。明治時代に登場したチョロ舟は、ヨットのジブセールにあたる前帆を持ち、風上に向かうことができたため、行動半径が広かった。全長8メートルという小さな舟で、船室に寝泊まりしながら、難所である都井岬、佐多岬を超えて遠く枕崎沖まで漁に出ることもあったという。油津チョロ舟保存会の猪崎欣男さんは、中学を卒業後、父とともに3年間チョロ舟で漁をした経験をもつ。

「枕崎までは3日かかりましたな。主にヨコワ(クロマグロの幼魚)を獲っていました。チョロ舟は全長に比べて横幅が大きくてずんぐりしていますから、復元力が大きくて安定しているんです。外海で漁をするのですから、このくらい安定しないといけませんし、時には80貫(300kg)もあるマグロが獲れることがある。荒海でこんな魚とやりとりをするには、このどっしりした舟がよかったのです」

チョロ舟

風を切って進むチョロ舟。安定がよく、扱いやすさもあり、近海から外海まで、一隻でなんでもこなした万能船だった。

チョロ舟の材料は地元名産の飫肥杉だ。水に強く、粘りがあるため船材として最適で、堀川運河を筏流しで下ってきた飫肥杉は全国に出荷されていた。チョロ舟による漁は、春はカツオ、夏はトビウオ、秋から冬はヨコワが中心だった。時に大型のクロマグロの回遊もあり、300kgもの魚がかかれば、舟が引き回され、ようやく仕留めても甲板に上げることもできなかったという。

「父は、そんなマグロを7本も獲ってきたことがありました。舟の両舷にくくりつけて意気揚々と引き上げてきたものです。」

エンジン船の普及でチョロ舟は姿を消したが、油津漁業の象徴として現在、2隻が復元され、体験航海などで多くの人を楽しませている。