宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
フォト・ファンタジスタ

Photographer Jin Akutagawa

1947年愛媛県生まれ。法政大学第二社会学部卒業。伊豆大島に5年間、水俣市で2年間暮らし、1980年から現在まで宮崎市在住。1992年に写真集「輝く闇」で宮日出版文化賞を受賞。主な著書に「水俣・厳存する風景」「土呂久・小さき天にいだかれた人々」「輝く闇」「銀鏡の宇宙」「春になりては…椎葉物語」などがある。日本写真家ユニオン副理事長。photograph芥川仁事務所代表。

※タイトルの写真は、向山地区の水無川。ヤマメの棲む渓流。

飲んでよし冷やしてよしの名水松の木を半割にして山水を溜める。飲んでよし冷やしてよしの名水だ

椎葉村松木地区。村道から屋敷へ続く坂道を石垣添いに登ると、苔に覆われた大きな水舟が目に入る。幹回りがふた抱えもありそうな松の木を半割にして、中をくり抜き水槽にしたものだ。那須久喜さん(69)が蜂蜜一升と交換して手に入れた松である。透き通った山の湧き水がホースから流れ込み、麦茶がペットボトルに入れて冷やしてあった。

久喜さんと妻の久子さん(63)は翌日、村内で牛の品評会が行われるというので、出品する去勢牛の手入れに余念がない。
「こん牛は、親牛を死なしたもんじゃかい俺がミルクで育てた牛よ。優等の一席にはならんでん、良いとこにいくじゃろと思うとよ」
久喜さんは、黒光りしている子牛の体中を撫でまわしながら、満足そうだ。
「うちん牛は放牧しとるけ爪がいいとたい。爪が悪いと歩き方が悪いたい。牛の訓練ちゅうとは立たせ方。ぴしゃーと真っ角に立つけん。品評会の前には、始めに石けんで洗うど、それからシャンプーで洗うど、最後はリンスやらすっとよ」

放牧場から牛達が帰ってきた放牧場から牛達が帰ってきた。自然の中で遊ばせると立ち姿のいい牛に育つという

周りを山また山に囲まれた谷間の一軒家。久喜さんはこの家で生まれ育った。池でコイを飼い、山で捕まえたイノシシの小屋もある。牛は親牛6頭、子牛4頭。このところ少なくなっていた蜜蜂も、今年は50群近く巣箱に入ったそうだ。今年もそろそろ蜂蜜採りの時期である。

「蜜蜂に刺されるちゅうことはないわ。蜜を貰いに来たよ、と言うてやって巣箱の入口に息を吹きかけて。それから蜜を貰うと、蜂は刺さんとよ。いきなり蜜を採ると蜂は刺すかいね。今から寒なるけ、冬、蜂が喰うとに半分は蜜を残さないかんとたい」

生き物の気持ちを察し、生き物と共存する暮らしが椎葉では展開されている。「椎葉には何もない」という言葉を聞くこともあるが、それは椎葉の本質を見ていないということだろう。私は、「宮崎の魅力は椎葉にある」と信じている。

椎葉クニ子さん 那須さんが蜜蜂を飼う「ホラ」
那須さんが自分で作った橋 山の斜面に雲が湧く
那須久喜さんと久子さん 猫がいい顔で伸び

1)椎葉の植物に詳しい椎葉クニ子さん。自宅の民宿に泊めていただいた。
2)那須さんが蜜蜂を飼う「ホラ」。春、山に仕掛けて、女王蜂が入るのを待つ。運次第だが那須さんのホラには非常に高い確率で女王蜂がやってくる。名人といわれるゆえんだ。
3)那須さんが自分で作った橋。この谷を渡ったところに蜂の巣箱がある。
4)山の斜面に雲が湧く。その下に家がある。
5)那須久喜さんと久子さん。
6)猫がいい顔で伸びをした。