宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
椎茸栽培

屋内での菌床栽培が盛んになる中で、奈須さんはあくまでも原木栽培にこだわる。
「カブトムシを育てるクヌギは椎茸にとってもご馳走なんです」
山の静かな林の中に、長い伝統が息づく。

江戸時代から続く椎茸の里、諸塚村。
歴史に育まれた山の智恵と技術を、産地づくりに生かす。

諸塚村/奈須高光さん

周囲を1000m級の山々に囲まれ、約800世帯が88の集落に点在する諸塚村は、山とともに歴史を刻んできた村だ。炭焼きや狩猟、植林、椎茸栽培など、人々は山の恵みによって暮らしを営んできた。椎茸栽培の発祥は江戸時代初期。豊後(現在の大分県)一帯でナタ目法による栽培が始まりとされている。諸塚村の朝藪地区に暮らす奈須高光さんは、その歴史を受け継ぎながら、現代の技術を駆使した最新の椎茸栽培に取り組んでいる。

「ナタ目栽培は、ナラなどのホダ木にナタで切れ目を入れて、椎茸の胞子が飛んでくるのを待つものです。もともと天然椎茸ができる土地ですので条件には恵まれているのですが、胞子の着床は神頼みで、天に祈るようなものだったろうと思います」

昭和17年、森喜作博士による種駒の発明で椎茸栽培は急速に進化し、安定的な収穫ができるようになるが、近年になって輸入自由化により安価な中国産椎茸が流入し、価格も低迷。産地ではそれをばねに、高品質化、差別化に努力を重ねてきた。高光さんの父、松美さんも諸塚産椎茸の質を飛躍的に高めた一人。一個一個の椎茸を慈しむような技法で育て、農林水産大臣賞を受賞した。その松美さんらの名人技的な技術を基に、諸塚村全体で質のばらつきのない高品質な椎茸を必要な量だけ供給できる産地づくりが、自分たちの世代の仕事と高光さんはいう。

「個人の技術だけでなく、全体のレベルアップが産地づくりの課題。諸塚村では個々の農家が品種、選別、乾燥などを高いレベルで統一して、諸塚産椎茸として付加価値の高い流通をめざしています」

栽培の過程でもっとも重要といわれるのがホダ木作り。秋にクヌギを伐採して水分を抜く作業だが、芯に水分が残っていると生木状態となり、死物菌である椎茸菌が伸長できないので完全なホダ木にならない。高光さんに最適な伐採時期を知る秘伝を教えていただいた。

「伐る前に目の高さのところにナタ目を入れて、そこへ耳を当てるのです。すると導管を流れる水の音が聞こえてくる。これが約7秒で止まると最適の時期です」
長い歴史に育まれた山の深い智恵が、諸塚産椎茸の味わいを支えているようだ

高い評価の諸塚産椎茸

品種、栽培、選別、乾燥とすべての過程を高いレベルで統一することで、諸塚産椎茸は高い評価を受けている。