宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

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フォト・ファンタジスタ

神楽への誘い ◎写真・文:芥川仁

西都市銀鏡神楽西之宮大明神の舞
西都市銀鏡神楽西之宮大明神の舞

夜明けを呼ぶ手力男の舞まどろんでいたようだ。夜はまだ明けていない。足の先から忍び寄る寒さが一段と厳しさを増している。
トントコトントン、トントコトン
単調だが心地よい、太鼓のリズムに無我の境地となり、睡魔の誘いに乗ってしまった。西都市の銀鏡(しろみ)神楽は、式二十三番の手力男命(たじからおのみこと)の舞いが続いていた。深夜一時を過ぎる頃までは、参拝人で賑わっていた神庭(こうにわ)の周りも、今では皆、眠気と寒さにじっと耐えているのだろう、シンとしている。

腰を落として一時間余を舞い続ける手力男命は、古穴手(ふらんて)集落にある手力男命社の神主が舞うと決まっている。「誰も見てくれない夜明け前の寒い時に、中腰のきつい姿勢で舞う手力男命。そんな家系に生まれたことを、若い時分には恨んでいましたよ」と、神主から聞いたことがある。

静かで厳かな舞いを終えて手力男命が退場する頃、天蓋(てんがい)を見上げると、絶妙のタイミングで東の空がわずかに蒼を帯び始める。地域に根付き継承されてきた民俗芸能の神楽が、神話として語り継がれてきた「天の岩戸開き」の物語を、自らの現実に取り込んだ神秘の夜明けである。

高千穂町・浅ヶ部神楽
ほしゃどんたちが氏神様での神事を終え、夕刻神楽宿へ向かう。(高千穂町・浅ヶ部神楽)

天蓋の下三尺、大明神が降臨宮崎県内には「式三番」の演目を持つ神楽が、三百五十を数えると言う。  神楽と言えば、十一月から一月までの冬の時期に、県央から県北の山間部で主に舞われる「夜神楽」が知られ、高千穂神楽(二十余カ所)、銀鏡神楽、椎葉神楽(二十余カ所)は、国指定重要無形民俗文化財となっている。

「夜神楽」の他に、二月から五月にかけての春、県央と県南の平野や海辺の集落で昼間に舞う「作神楽」と呼ばれる神楽も多い。県内の神楽に関する最も古い記録は、文治五年(1199年)の「十社大明神記(じっだいみょう じんきしゃ)」にあると聞いた。八百余年も前から、神と向かい合う人々によって継承されてきた民俗芸能なのだ。

楽屋から法螺貝が吹き鳴らされると銀鏡神楽式八番、祢宜(ねぎ)に先導されて西之宮大明神の出座である。きらびやかな金色の宝冠がゆっくりと動く。銀鏡神社のご神体である神面を付けた宮司は、動いているのか動いていないのか。わずかに腰を落とし、天蓋の下三尺より動かず厳かに舞う。

金色の扇子と面棒が緩やかに廻ると、神面の向きが微かに東へ向いた。参拝者から柏手がパンパンと鳴り響き、おひねりの賽銭が西之宮大明神を目がけて投げ込まれる。村人は、その厳粛なる舞いに大いなる感嘆の息を吐き、合掌するのだ。

宮崎市 イルカ岬
浅ヶ部神楽・七貴神の舞

入魂の舞に神楽宿が揺れ動く忘れられない舞いは、椎葉村で最も奧深い集落、尾手納(おてのう)神楽の「一人舞」と呼ばれる太夫舞いだ。神楽の夜、氏子である村の男たちは、紋付き袴の正装で神楽宿に集まってくる。総代が取り仕切り、長老たちが上座を陣取り、折り詰めと焼酎の一合瓶が配られる。

勧められるまま焼酎を飲み過ぎたようで、いつの間にか神楽宿の隅で寝入っていた。「起きてください、起きてください。太夫舞いが始まりますから」と、午前0時を廻った頃、肩を揺すって総代さんが起こしに来た。すでに神屋(こうや)の周りは、びっしりと村人が詰めかけ、今か今かと太夫を待ち受けている。神楽宿を取り仕切るのは総代だが、神楽子(舞人)の総大将は太夫である。太夫は世襲で、「一人舞」を一番だけ舞う。

白装束に大振りの赤面を付けた太夫が、太鼓に誘われるまま神屋の中央に進み出る。右手に鈴、左手に御幣を持ち、腰を落とした低い位置から、体を回転させて迫り上がるように舞い始めた。太鼓のテンポが速くなる。太夫の回転が速くなる。

村人はじりじりと、神屋の結界として張り巡らされている注連(しめ)を踏み越えて、太夫に触れんばかりににじり寄る。「廻れ廻れ」と、声を合わせて手拍子を打ち、囃し立てる。神楽宿全体が、太夫の飛ぶように舞うリズムに合わせて揺れ動く。

およそ二十分間、「一人舞」の舞いが終わると、太夫は祭壇前に倒れ込んだ。酸欠状態に陥っているようだ。神楽子と家の名誉を守って、一年にただ一度、全身全霊を込めて舞ったのである。太夫ににじり寄った氏子たちも、しばらくは放心状態が続いた。

椎葉村尾手納神楽
椎葉村尾手納神楽

寒さ、眠さに耐えて神楽宿へ高千穂神社には旧暦十二月三日、高千穂神楽の原型とされる「笹振り神楽」が奉納される。宮崎市以南の平野部で、主に昼間舞われる「作神楽」には、素朴で明るい大らかさが漂う。どの神楽でも良い、かなうことならば寒さ眠さに耐えて全番付を見てほしい。そうして贔屓の神楽を見つけていただきたいのである。

焼酎の酔いに任せて、うつらうつらとまどろみながら、普段とは異なる晴れやかな表情を見せる村人の中に居るだけで良い。日本文化の基層となっている色彩感覚や音感が、いかに奥深いかを知ることができるだろう。忘れてならないのは、神楽は神事であることだ。氏子の心情に沿い、少しのお供えをどうぞ。

宮崎市 一ッ葉海岸
写真左上より椎葉村奥村神楽、椎葉村嶽之枝尾神楽、高千穂町浅ヶ部神楽

 

Photographer
Jin Akutagawa 1947年愛媛県生まれ。法政大学社会学部二部卒業。伊豆大島に5年間、水俣市で2年間暮らし、1980年から現在まで宮崎市在住。1992年に写真集「輝く闇」で宮日出版文化賞を受賞。主な著書に「水俣・厳存する風景」「土呂久・小さき天にいだかれた人々」「輝く闇」「銀鏡の宇宙」「春になりては…椎葉物語」などがある。?W日本写真家ユニオン副理事長。photograph芥川仁事務所代表。