宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
田毎の月

夕暮れから夜明けまで、高千穂町の田で月を見つめてみた。写真は夜明け前のショット。田植えを終えたばかりの水田にきれいな満月が映えていた。

棚田の月は、一つひとつの田にその影を落とすという。
俳人たちが愛した田毎の月。
失われつつある風景が、多くのことを語ってくれた。

昔から俳人たちの間で愛されてきた田毎(たごと)の月。それはやはり、ひなびた里山の水鏡がよく似合う。棚田を訪ねる取材を始める前に、先人たちは田毎の月を眺めて何を思ったのか確かめようと、高千穂町栃又(とちまた)の水田にカメラを据えて月を待ってみた。田植えもすんだとはいえ、山々に囲まれたこのあたりでは、夕暮れの空気は冷気さえ漂う。その山から湧く冷たい水を引いた田からも、昼間の暑気を払うような微風が吹いてきた。

陽もとっぷりと暮れたころ、谷の向こうから出た月が、小さな田の水面にその姿を映す。ひとつの月が無数の田に同時に映るわけではないが、月の下を歩いていくと、それを映す水鏡もどんどん隣の田に移っていく。昔、夜道を急ぐ人の目には、見慣れた田の風景が、息をのむような美しさに見えたことだろう。田毎の月とは、そんな驚きを込めて呼ばれたイメージだったのかもしれない。

戦後の食糧難も去った昭和40年代以降、日本の稲作は減反と効率化の途をたどった。全体として米の作付けを減らしていきながら、残った田は大規模なほ場整備と水路の整備によって、一枚一枚の面積が大きく、四角に区切られることで耕作機械の導入を容易にし、生産性を上げていく。そのおかげで収量は安定し、農家の収入にも寄与し、また転作が奨励されたことで新たな作物の生産にも弾みがついた。そうした効率化の流れの中で、当然、いずれは消えていくものと思われていた棚田が、ひとつの風景として、あるいは文化として人々の注目を集めるようになっている。

田毎の月

一枚一枚の田が小さく、形も山の斜面に沿って微妙な曲線を描くことの多い棚田は、生産性からみれば平地の整備された田とは比較にならないが、国土を守り、水を蓄えるなどの保全機能が高く、稲作には厳しい気象条件がかえって害虫を防ぐために、農薬などの使用が抑えられ、結果として生態系の保全にも役立っているという。棚田の米はうまいといわれるが、それは澄んだ冷たい水や豊かな環境といった要素の上に、その地形の厳しさから、すべてを人の手でこなさざるを得ないことが、理由となっているのだろう。そんな日本の稲作の原風景ともいえる棚田を軸に、都市と農村の交流事業といった取り組みも始まっている。

宮崎は、農林水産省が選定する「全国棚田百選」のうち11カ所が点在する棚田王国だ。四季折々の里山の暮らしぶりを、その水鏡に映してきた棚田には、土地ごとの風土や歴史を背景にした物語が見えてくる。あの田毎の月のように。

時と共に違う顔を見せる棚田

棚田の1枚1枚は小さく、蓄える水もわずかにみえるが、それが集まることにより、時と共に違う顔を見せる棚田。営々と日本の国土を守り、虫や草木そして人間の命を育んできた。ここでは、古代の神々に見つめられているような気分になる。

棚田の風景