宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
日本の棚田百選

宮崎の棚田についての問い合わせ
宮崎県農村整備課
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宮崎の「日本の棚田百選」
平成11年、農林水産省によって選定された「日本の棚田百選」。宮崎県では11カ所が選ばれ、保存への努力が始まっている。遠くから眺めただけでは、のどかな風景に見える棚田だが、その石組みの一つひとつには、子孫たちに幸多かれと願った先人たちの汗と希望が込められているようだ。

インドから中国南部にかけての温暖な湿地が原産といわれる米を、山あいの水の乏しい傾斜地で作ろうというのは、もともと壮大な挑戦だったに違いない。そうした稲作に適さない場所で、とにもかくにも土地をならし、石を運び、水を引いて切り拓いたのが棚田である。現在、石垣の村として知られる日之影町戸川地区では、わずか七戸の住人たちが長い年月をかけてそれを成し遂げた。他にも数名、時には一人で築きあげた無名の棚田も、県内には多いことだろう。

遠くから眺めていると、のどかな癒しの風景に見える棚田だが、初めにその造営を決意した人の勇気や、家族や子孫に幸多かれと願いながら営々と田を築き続けた先人たちの真心の深さを思う時、胸を打たれる。田の一枚一枚、石組みの一つひとつに込められた思いを、棚田が再評価されている今、しっかりと受け止めたい。

日之影町 石垣の村

五ヶ瀬川の支流・日之影川沿いの山間にたたずむ戸数7戸の集落で、宅地・水田、石蔵など集落全体が石垣で形成されている。大正14年に完成した七折用水とともに開かれた、比較的新しい棚田だが集落の石垣は江戸末期からのもの。棚田まつりなど都市部との交流も盛んに行われている。

日之影町 石垣の村

高千穂町 尾戸の口(おどのくち)

栃又棚田から岩戸川が流れる谷をはさんで対岸に位置する。約780枚と大規模な棚田で、周辺の景観も素晴らしい。自発的に農作業を手助けするグループも設立され、棚田が守られている。

高千穂町 尾戸の口(おどのくち)

高千穂町 徳別当(とくべつとう)

徳別当棚田は、国道218号沿いの二上神社から町道を2kmほど分け入ったところにある。急峻な傾斜に、あちこちに分散して720枚ほどの田があり、先人の労苦がしのばれる棚田だ。

高千穂町 栃又(とちまた)

神話の里・高千穂町は山々に囲まれているものの、日当たりと水の便がよく、古くから稲作が行われていた。栃又の棚田は、高千穂鉄道天の岩戸駅付近から東側一帯に広がっており、規模の大きな棚田地帯を形成している。

高千穂町 栃又(とちまた)

西米良村 向江(むかえ)

向江の棚田は上米良地区にある。棚田枚数は61枚で、起源は奈良時代にさかのぼるという。西米良村は平家の落人伝説があり、南北朝時代の懐良親王にもゆかりがある古い歴史をもつ土地だが、そのはるか以前から、この棚田は人々の暮らしを見つめてきたのだろう。

西米良村 向江(むかえ)

西米良村 春の平

春の平棚田は、西米良村を流れる一ツ瀬川沿いにある。大正9年、地元の有志4名によって結成された共同皆伝工事組合によって、4年がかりで開かれた5.5ヘクタールの水田は、石積みの美しい景観をつくっている。

西米良村 春の平

五ヶ瀬町 日蔭(ひぞえ)

九州島発祥の地である祇園山(130m)からの湧き水を水源とする棚田で、30戸の農家が70枚ほどの耕作を行っている。この湧水は「四億年の雫」として販売されるほどの名水だ。

五ヶ瀬町 日蔭(ひぞえ)

五ヶ瀬町 鳥の巣

ゆるやかな傾斜地にゆったりと広がる鳥の巣棚田は、下の原棚田とともに三ヶ所用水(昭和2年完成)の配水を受けて開かれた。近くには用水建設の功労者・後藤寅五郎氏の顕彰碑がある。

五ヶ瀬町 鳥の巣

五ヶ瀬町 下の原(しものはら)

鳥の巣棚田と同じく三ヶ所用水から水を受けて開かれた棚田。以前は、麦、アワ、トウモロコシなどの雑穀栽培が中心で風水害も多発していたが、用水路と棚田の完成により、防災にも大きく寄与している。

五ヶ瀬町 下の原(しものはら)

えびの市 真幸(まさき)

真幸の棚田は、鉄道ファンにはスイッチバックのある駅としてよく知られたJR肥薩線真幸駅の裏山にある。棚田枚数は33枚、農家の熊本さんが、終戦後半世紀をかけて築き上げた石積みの棚田だ。標高は786m、遠くには霧島山系の山々を望むことができる。

えびの市 真幸(まさき)

日南市 坂元

日南市を流れる酒谷川の上流、酒谷地区にある坂元棚田は、昭和初期から30年頃にかけて造成された新しい棚田で、整然と区画されている。近くには大谷橋という古い石橋が残り、地域おこしのシンボルになっている。

日南市 坂元


棚田の風景