宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

 

Jajaバックナンバー

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/

Saitobaru outskirts
西都原周辺

天孫ニニギノミコトと木花開耶姫(このはなさくやひめ)
現在も語り継がれるロマンス

都萬神社

ニニギノミコト夫妻の蜜月の地、
樹齢千年の大楠のお守りが人気

都萬神社

天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメのロマンスが伝わる都萬(つま)神社。地上界に降り立ったニニギノミコトは、山の神様の娘であるコノハナサクヤヒメとこの地で出会い、史上初めて結婚式を挙げたと伝わる。そして、後に古事記神話で重要な役割を演じるホデリノミコト(海幸彦)、ホオリノミコト(山幸彦)、ホスセリノミコトの三人の皇子が、この地で誕生する。この三皇子を育てる際に、母乳代わりに甘酒を醸して育てたといわれ、境内には日本酒発祥の地の碑が建てられている。

【左】日本酒発祥の地碑【中】千年の洞洞木【右】日本一の大太刀
【左】境内にある日本酒発祥の地碑。【中】願い事を念じながらくぐる千年の洞洞木。【右】宝徳3年(1451年)に奉納された、長さ3.5メートルの日本一の大太刀。

最近、話題になっているのが、樹齢千年以上の大楠で作った縁結びのお守りだ。台風被害で折れてしまったご神木を材料に一つひとつ手作りしたもので、「千年の気をいただく」ということで、遠方から求めにくる人も多い。また、このご神木は、願い事を念じながらくぐると御利益があるという「千年楠の洞洞木(どうどうぼく)」として祀られている。

記紀の道

天孫の出会いのストーリーを
めぐる散策の道

天孫ニニギノミコトは、乱れる地上界を治めるために、天上の国から派遣された若きエースといえる神様だった。そして、国つ神(地上の神)の娘であるコノハナサクヤヒメと出会い、結ばれることで、神話から歴史への扉が開かれることになる。これは、天上神と地上神の初めての結婚だった。初めて二人が出会ったのが、逢初川(あいぞめがわ)で、水を汲んでいたコノハナサクヤヒメの美しさに、ミコトはその場で結婚を申し込んだという。

左から石貫神社・無戸室(うつむろ)・逢初川
左から石貫神社、無戸室(うつむろ)、逢初川

その頃、同じように姫に結婚を申し込んでいた鬼がいた。父の大山祇神(おおやまずみのかみ)(山の神様)は困惑したが、むげに断るわけにもいかず、「一夜の間に大きな窟(いわや)を作れるなら」と条件を出す。鬼は立派な窟を作るのだが、大山祇神は隙を見て天上岩の一枚を引き抜いて、遠くへ投げ捨ててしまい、それを理由にうまく断ることができた。
その時に作った窟が、鬼の窟(おにのいわや)古墳で、投げた岩を祀るのが石貫(いしぬき)神社だ。

左から男狭穂塚・女狭穂塚、児湯の池、八尋殿(やひろでん)跡
左から男狭穂塚・女狭穂塚、児湯の池、八尋殿(やひろでん)跡

こうして二人は結ばれるのだが、一夜の契りで懐妊したことを疑われたコノハナサクヤヒメは、「まことにミコトの子ならば火の中でも無事に生まれましょう」と、戸のない産屋(無戸室(うつむろ))を建て、火を放ち、その中で三皇子を生む。三皇子の産湯を使った児湯の池、両神の陵墓と伝わる男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)など、西都原周辺にはニニギノミコト夫妻にまつわる物語に沿った事蹟が数多く残され、それらをめぐる道は、「記紀の道」として散策コースになっている。

西都古墳まつり
毎年11月に行われる西都古墳まつりでは、ニニギノミコト、コノハナノサクヤヒメに扮した二人が、都萬神社に参拝する。

宮崎恋歌