宮崎県グラフ誌「Jaja」じゃじゃ

 

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古事記の舞台、宮崎の神話を旅する。

古事記の舞台、宮崎の神話

みそぎ発祥神話から天孫降臨、そして初代神武天皇の誕生まで、
古事記に描かれた壮大な物語は、
古代日向(宮崎)の地が舞台。
そこにあるのは、神と人がともに暮らしていたような、日本のふるさとの姿だ。
古代世界に誘う扉が、あちこちに開かれている宮崎を
古事記の言葉をキーワードに訪ねてみよう。

みそぎ発祥と天照大神の誕生

日本中の神社で神事の前に唱えられる「祓詞(はらえことば)」の冒頭に「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小戸の阿波岐原(あわきはら)に」というフレーズが出てくる。「九州の宮崎の小戸の阿波岐原」で、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)(以下、イザナギ)が初めて禊(みそ)ぎをされた地が、ここであるという。

阿波岐原は宮崎市内に実在する地名で、現在のシーガイアがある一つ葉海岸一帯。日向灘に面して松林が広がっている。

初めての男女神として描かれるイザナギとイザナミ(伊邪那美大神(いざなみのおおかみ))は、国土を生んだ国産みの神として知られる。黄泉の国へと旅だったイザナミを追い、その恐ろしい姿に逃げ帰ったイザナギは、けがれを清めようと阿波岐原の地で禊ぎをされた。

その水から生まれたのが、太陽の神で後に天孫一族の祖となる天照大神(あまてらすおおかみ)、出雲神の祖となる素戔男尊(すさのおのみこと)(スサノオ)、月と暦の神とされる月読命(つくよみのみこと)の三神だ。

みそぎ発祥の地であるとともに、天照大神とスサノオという古事記神話で非常に重要な神々の誕生地でもある阿波岐原に、イザナギ・イザナミの両神をまつる江田神社という古社がある。

創建は不詳だが「続日本後記」(837年)には、都農神社、都萬神社、霧島岑神社とともに、その名が記されており、古くから崇敬を集めていたことがうかがわれる。
また、隣接する松林の中にひっそりと水をたたえるみそぎ池は、イザナギが禊ぎをされた地と伝えられる。

いずれも近年まで、地元の氏子たちによって守られてきた、どちらかというと目立たない存在だったが、最近のスピリチュアルブームで宮崎を代表するパワースポットのひとつと注目を集めるようになった。

古事記の旅の入口として、ぜひ訪れてみたいスポットだ。

阿波岐原
みそぎ発祥の地といわれる阿波岐原は、現在のシーガイアの近く、美しい松林に覆われた一帯にある。

天孫降臨と恋の物語

かつて世界は、天上の高天原(たかまがはら)と地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)に分かれていた。高天原は天照大神が治め、葦原中国は群雄割拠して乱れに乱れていたという。

その葦原中国をうまく治めようと高天原から遣わされたのが、天照大神の孫である瓊々杵尊(ににぎのみこと)だ。いわゆる天孫降臨の物語である。

降臨された場所は、「筑紫の日向の高千穂のくじふるたけ」で、現在の高千穂町周辺とも、霧島山系高千穂峰ともされる。

瓊々杵尊は、やがて木花開耶姫(このはなのさくやひめ)と出会い、結ばれる。木花開耶姫は山の神である大山祇神(おおやまずみのかみ)の娘で、ここに初めて、天津神(あまつかみ)(天上の神)と国津神(くにつかみ)(地上の神)が、縁戚関係を結ぶことになる。

都萬神社
木花開耶姫を祭る都萬神社は、恋愛成就の神様として女性の参詣も多い。境内には3人の皇子の産湯を使ったという児湯の池も。

この二神の出会いについては、西都原(西都市)周辺に多くの伝承が残されている。初めての出会いの地である逢初川、新居の跡とされる八尋殿(やひろでん)跡、両神の陵墓とされる男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)などは、木花開耶姫をまつる都萬(つま)神社とともに、「記紀の道」として散策ルートになっている。

木花開耶姫は一夜の契りで身ごもるのだが、そのことを瓊々杵尊に疑われたことから、産屋に火を放ち、戸を閉め「私に誠があれば無事に子が生まれるでしょう」と、そこにこもって出産した。

その際に生まれた子が、ホデリノミコト(海幸彦)、ホスセリノミコト、ホオリノミコト(山幸彦)の三神で、都萬神社の境内には産湯に使ったという児湯の池があり、また、現在の児湯郡の由来にもなっている。

男狭穂塚と女狭穂塚
西都原古墳群の最大の男狭穂塚と女狭穂塚は、瓊々杵尊と木花開耶姫の陵墓参考地となっている。

神々の系図