掲載開始日:2023年3月22日更新日:2023年3月22日

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国旗掲揚の始まり

日章旗が国旗として採用されるようになった経緯は正確には不明ですが、宮崎県文書センター所蔵の資料によると下記のとおりとなっています。

1明治政府による国旗掲揚の始まり

明治の初め、国旗(日章旗)はまず商船に掲揚され、外国船と区別するために使用されました。「商船規則」(明治3年1月27日、太政官布告第57号)に次のように記されています。

「一、御国籏之事

右者決而取外シ候事不相成、附属之艀舟ニ至迠必可揚置事

一、毎朝西洋時規第八字ニ引揚ケ夕方者日没迠ヲ限引卸須遍支事

但、右御国籏引揚無之節者海賊船之取扱請候而毛申譯ナ幾事、萬国普遍之公報タル事

一、御国籏之寸法別紙之通ニ候事

但、大旗者祝日ニ引揚、平日者小籏引揚ケ、風雨晦暝之節者小旗迠引卸置不苦候事

祝日正月朔日、正月十五日、三月三日、五月五日、七月七日、七月十五日、八月朔日、九月九日、

九月二十二日右之通」(原文のママ、読点は読みやすくするため筆者が付記。以下同じ。)

 

このように、国旗を毎朝八時から夕方日没まで掲揚することとし、掲揚しない場合は海賊船とみなされても仕方がなく、これは万国共通のきまりであるとしています。つまり国旗はまず日本国籍を表す船印として使われたことがわかります。

また、国旗の規格を定め、その使い分けを指示しています。

国旗は大中小の三種類とし、その縦横の寸法は、大旗が9尺1寸×1丈3尺(約2.75×3.94m)、中旗が7尺×1丈(約2.12×3.03m)、小旗が4尺2寸×6尺(約1.21×1.81m)であり、日の丸の差し渡しは大旗が5尺4寸6分(約1.64m)、中旗が4尺2寸(約1.27m)、小旗が2尺5寸2分(約0.75m)となっています。

ちなみに、現在の国旗は縦が横の3分の2、日の丸の差し渡しは縦の5分の3となっています。また、一般社団法人国旗協会は「商船規則」制定の日として1月27日を「国旗制定記念日」としています。

【資料1】「商船規則」国旗の寸法

【資料1】「商船規則」国旗の寸法(104341『御布告留』)

2本県における国旗掲揚の始まり

明治6年10月27日付、県参事名の各正副区長・戸長宛の天長節(11月3日・明治天皇誕生日)祝賀に関して発した布達の伺文の中に、欄外に日章旗を図示し、「来明治七年ヨリ如此旗旌ヲ戸毎ノ門ニ立サセテハ如何」との提案が書き添えてあります。(明治6年「管内布達留」104326)

本県民に対する日章旗掲揚の提案はこれが初めてだと思われます。

そして県では翌明治7年6月5日、参事名で内務省に次のように、3祝日の日の日章旗掲揚について伺いを立てました。

「御祝日日章之小旗掲表之義ニ付伺、新年、紀元節、天長節、右御祝日、市在四民一般、日章之小旗相掲奉祝萬歳度、追々伺出候区々も有之候ニ付、聞届不苦候哉、何分御指令有之度、此段相伺候□明治七年六月五日宮崎県参事福山健偉内務大久保利通殿

これに対し、同年7月14日、内務卿大久保利通名で、「書面日章小旗相掲ケ候儀者不苦候事」と許可の通知がもたらされました。

【資料2】内務省の伺い及びそれに対する許可の通知(1)【資料2】内務省の伺い及びそれに対する許可の通知(2)

【資料2】内務省宛の伺い及びそれに対する許可の通知(104316『支庁来翰(2)』)

 

許可を得た県では早速、同年8月13日付で各区へ次のような布達を発しました。

「新年、紀元節、天長節之御祝日、市在一般日章(ヒノマル)之小旗相掲候儀伺出候区モ有之候ニ付、内務省ヘ相伺候処、不苦段御指令相成候条、此旨念為布達候事、但寸尺之義ハ各戸適宜ニ相製シ可申事」

これらをみると「日章」はヒノマルと読み、掲揚する一般用の日章旗については規格が定められてなく、適宜な寸法で各々が手作りで製作するよう指示していることがわかります。(別の2祝日は、新年宴会1月5日、紀元節(神武天皇即位日)2月11日です)


【資料3】日章小旗の掲揚について各区への布達伺(1)【資料3】日章小旗の掲揚について各区への布達伺(2)

【資料3】日章小旗の掲揚について各区への布達伺(104332『管内布達留』)

 

掲揚の様子について、同年11月4日付で県参事宛の第13大区の報告書があります。

「本月三日、天長節御達之通、日章籏ヲ掲、献灯戸毎ニ相備、大区内一般奉祝候、此旨申上候也第十三大区副区長明治七年十一月四宮崎県参福山健偉殿」(明治6年「各区萬留」104494)

「本日11月3日に天長節についての御達の通りに日章旗を掲げ、献灯も各戸ごとに備え、地域内でのお祝いを致しました。この事について報告致します。第13大区(現都城市高城町、山之口町)副区長」というものです。

その後、県は同年11月29日付で各区へ「御国旗」掲揚は8祝日・祭日に限るという次のような布達を発しました。

「御国旗相掲候儀ハ各区江差許置候処、右定日ハ太政官第三百四十四号御布告ニ基キ左ノ御祭日、御祝日ニ限リ候儀と可相心得、此旨布達候事元始祭一月三日、新年宴会一月五日、孝明天皇祭一月三十日、紀元節二月十一日、神武天皇祭四月三日、神嘗祭九月十七日、天長節十一月三日、新嘗祭十一月二十三日ト可相心得此旨布達候事ニ而ハ如何」(明治7年「管内布達留」104332)

神嘗祭は明治12年から10月17日になります。

孝明天皇は幕末激動期の天皇で、幕府からの皇妹和宮の将軍徳川家茂への婚嫁奏請を最終的には勅許ししました。

もともと3祝日に限った日章旗掲揚を布達したのが、その他の日にも掲揚する者があったとみえてその歯止めが必要になったものと思われます。また、国旗掲揚について「差許」とか、特定の祝祭日に「限り」などの現在では見ない表現があるのは、国旗は非常に重いものとしてみだりに取り扱わないようにとの考えがあったのではないかと思われます。

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