宮崎県グラフ誌「Jaja」じゃじゃ

 

Jajaバックナンバー

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日向・入郷 ひゅうが・いりごう

上流から下流へ。 耳川が育んだ歴史と文化。

日向灘に面した細島港を擁し、古くから港町として栄えてきた日向市。藩政時代には幕府直轄領で、日田代官所(大分県日田市)の陣屋が置かれていた。この頃、市の南部にある美々津港は高鍋藩の領地で、「美々津千軒」といわれる商家が軒を連ねるほどの栄華を極めた。

美々津の町並み
美々津の町並み/江戸時代、高鍋藩の商業港として栄えた美々津。上方の町家造を取り入れた建物が今も静かに佇む。

その美々津を、耳川沿いに上流へ遡ると、ほどなく「入郷(いりごう)」と呼ばれる地域にさしかかる。現在の美郷町(旧北郷村、西郷村、南郷村)と日向市東郷町、さらに九州中央山地に属する諸塚村、椎葉村を含む広大なエリアだ。

かつてこの地域で産出された木炭や茶などの産物は耳川を高瀬舟で下り、また木材は筏に組んで、美々津へ集められた。こうした物流のつながりが、「日向・入郷」の一体感を生み出したのかもしれない。

絶景の大海原を見渡す柱状岩上に建つ日向市の大御神社は、「日向のお伊勢さま」として親しまれ、人々の海や川、自然への信仰をより強いものしてきた。

このほかにも宇納間地蔵尊で知られる北郷区、百済王伝説が残る南郷区、970年の歴史がある御田祭が伝わる西郷区、室町時代からの諸塚神楽を有する諸塚村など、耳川流域で育まれた歴史と文化は、それぞれのかたちで受け継がれている。

百済の館
百済の館/百済最後の王都となった韓国の古都・扶餘(プヨ)の客舎をモデルに造られた。丹青(タンチョン)と呼ばれる極彩色の装飾が美しい。

クルスの海と馬ヶ背
写真左)クルスの海/日向岬にある「クルスの海」は柱状岩が波の侵食で縦横200m以上にわたって裂け、十文字(クルス)に見えることからこの名前がついた。 写真右)馬ヶ背/日向岬の先端部に位置する馬ヶ背。展望台からは高さ70m、奥行100mの柱状岩が切り立つ断崖絶壁を眺められる。

しいたけの館21と石峠レイクランドと椎野あじさいロード
写真左)石峠レイクランド/国道327号沿い、西郷区田代の大内原ダム湖にあるレジャー施設。物産販売所、温泉、レストランなどを備えている。 写真中央)しいたけの館21/村の自然や森林、環境に関する情報を書籍や映像などから学ぶことができる。山の幸を使ったバイキング料理を楽しめるレストランも併設されている。 写真右)椎野あじさいロード/北郷区椎野では毎年6月中旬になると、延長7kmに住民たちが植えた約3万本のあじさいが咲き、大勢の人で賑わう。

西の正倉院
西の正倉院/奈良正倉院の御物と同一品といわれる銅鏡「唐花六花鏡」など貴重な文化財を伝えるために、原図をもとに正倉院を忠実に再現した。

若山牧水日向市東郷町に生まれ育った歌人・若山牧水は耳川支流の坪谷川を遊び場として育った。また、子供の頃、高瀬舟で耳川を下り、美々津で初めて海を見た時の感動を詠んだ歌もある。

東郷町の牧水公園にある若山牧水記念文学館には牧水にまつわる多くの資料が展示されている。

神武東遷伝説と美々津

古事記によると、初代神武天皇は葦原中国(あしはらのなかつくに)をよりよく治めるために、兄の五瀬命(いつせのみこと)と相談して東へ旅立った。日向市美々津に伝わる伝承では、8月1日(旧暦)の夜明けに、急に天候が回復したため、予定を早めて出発したという。その際、家々の戸を「起きよ、起きよ」と呼ばわりながら叩いたことが、現在も「おきよ祭り」として伝わる。また、神武天皇の衣服のほころびを繕うのに、服を脱ぐひまがなく立ったまま繕わせたことから、「立ち縫いの里」の名が残り、立磐(たていわ)神社には、神武天皇ゆかりの「腰掛け岩」がある。