宮崎県グラフ誌「Jaja」じゃじゃ

Jajaバックナンバー

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古事記の舞台、宮崎の神話を旅する。

みそぎ発祥神話から天孫降臨、そして初代神武天皇の誕生まで、
古事記に描かれた壮大な物語は、
古代日向(宮崎)の地が舞台。
古事記の言葉をキーワードに訪ねてみよう。

みそぎ発祥と天照大神の誕生

日本中の神社で神事の前に唱えられる「祓詞(はらえことば)」の冒頭に「筑紫(つくし)の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわきはら)に」というフレーズが出てくる。「九州の宮崎の小戸の阿波岐原」で、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)(以下、イザナギ)が初めて禊(みそ)ぎをされた地が、ここ阿波岐原であり、現在のシーガイアがある一つ葉海岸一帯にあたる。

初めての男女神として描かれるイザナギとイザナミ(伊邪那美大神(いざなみのおおかみ))は、国土を生んだ国産みの神として知られる。黄泉の国へと旅だったイザナミを追い、その恐ろしい姿に逃げ帰ったイザナギは、けがれを清めようと阿波岐原の地で禊ぎをされた。

その時に生まれた一人が、太陽の神で後に天孫一族の祖となる天照大神(あまてらすおおかみ)である。イザナギが禊ぎを行ったとされる池(みそぎ池)のすぐそばにある江田神社は、禊ぎ発祥の地として、また最近はスピリチュアルスポットとして知られている。

阿波岐原
みそぎ発祥の地といわれる阿波岐原は、現在のシーガイアの近く、
美しい松林に覆われた一帯にある。

天孫降臨と恋の物語

かつて世界は、天上の高天原(たかまがはら)と地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)に分かれていた。 その葦原中国をうまく治めようと高天原から遣わされたのが、天照大神の孫である瓊々杵尊だ。いわゆる天孫降臨の物語である。

降臨された場所は、「筑紫の日向の高千穂のくじふるたけ」で、現在の高千穂町周辺とも、霧島山系高千穂峰ともされる。

瓊々杵尊は、やがて木花開耶姫(このはなのさくやひめ)と出会い、結ばれる。この二神の出会いについては、西都原(西都市)周辺に多くの伝承が残されている。初めての出会いの地である逢初川、新居の跡とされる八尋殿(やひろでん)跡、両神の陵墓とされる男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)などは、木花開耶姫をまつる都萬神社とともに、「記紀の道」として散策ルートになっている。

阿波岐原

木花開耶姫を祭る都萬神社は、恋愛成就の神様として女性の参詣も多い。境内には3人の皇子の産湯を使ったという児湯の池も。

海幸彦と山幸彦

瓊々杵尊と木花開耶姫の子、海幸彦は海の漁を、弟の山幸彦は山の猟をしながら、それぞれ暮らしていた。

ある日、山幸彦は兄に頼んでお互いの持ち場を交代してもらい、釣りに出かけるのだが、魚は釣れず、兄から借りた大切な釣り針をなくしてしまう。

自らの剣をつぶして千本の釣り針を作って差し出しても許しを得られず、途方に暮れていたところに現れた塩椎神(しおつちのかみ)の導きで、山幸彦は海の神の宮(綿津見神(わたつみのかみ))を訪れる。よく知られた海幸・山幸の物語だ。山幸彦はここで綿津見神の娘、豊玉姫と出会い、結ばれることになる。海神の宮は現在の青島の近くにあったといわれ、山幸彦と豊玉姫を祭る青島神社は縁結び、海上安全の神様として古くから親しまれている。


海幸彦と豊玉姫をまつる青島神社。島の周囲を鬼の洗濯板と呼ばれる波状岩で囲まれ、島内は亜熱帯植物で覆われる独特の環境を伝えている。

神武誕生、そして東征へ

山幸彦の子を身ごもった豊玉姫は、海岸の渚に鵜の羽で葺いた産屋を作り、「出産の時は、本来の姿に戻るので決して見てはいけない」と山幸彦に告げて産屋に入るのだが、山幸彦はつい見てしまうと、そこには『八尋鮫(やひろわに)』となってのたうちまわる豊玉姫の姿があった。

それを恥じた豊玉姫は、海神の国とこの世との境を閉じて、姿を消してしまう。鵜の羽を葺き終えないうちに生まれた子は、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と名付けられた。鵜草葺不合命は、豊玉姫(たまよりひめ)の妹の玉依姫と結婚をし、神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひのみこと)を産む。後の初代神武天皇だ。

伝承によると神武天皇は、高原町周辺から宮崎市(宮崎神宮)、あるいは高千穂町へと移り、それから世を平定するために、美々津の港から東へ向かって旅立っていったとされる。

平成24年は古事記編さん1300年、また、平成32年は日本書紀編さん1300年という大きな歴史的節目に当たる。神話に秘められたロマンや歴史の奥深さを改めて感じてみたい。

神々の系図